く暮らせるだけの知行もあります、また、幼な馴染《なじみ》も、我々を尊敬してくれる郷土民もあるのです。郷土の人は、どこからともなく、我々の家柄が加藤清正の家系である、今の細川家よりも古いのである、というような観念を持っていて、それで特に我々を尊敬してくれるのです。もし系図というものに余徳がありとすれば、名古屋城の金の鯱《しゃちほこ》の光よりも、この郷土民が何百年の昔の歴史に信仰を置いて、何の功業もない我々を尊敬してくれる、これこそ、系図の余沢《よたく》、先祖の光である、拙者はそこに先祖の有難味を味わって生きて行きたい。そういうふうに熊本では人心が皆、拙者になついてくれる、特に風土が、拙者の身体にかなっているようです。有名な阿蘇があります、その周囲には幾つもの温泉が、我々を温めてくれます、それから八景《はけ》の水谷《みや》だの、水前寺だのいうところの水がよろしいです。いったい、どこを掘ってもよい水です、一歩、海辺へ出ると、柑橘《かんきつ》の実る平和な村があります、三角《みすみ》の港から有明の海、温泉《うんぜん》ヶ岳《たけ》をながめた風景は、到底、関東にも、関西にもありません。それに加うるに穀物が実ります、米も、肥後米といって第一等の米がとれるのです。なおその上に、国主の細川家と、先住者の加藤家との間の諒解が極めて美しい。ところによっては先住の豪族を平げて、後の国主が入城し、両者の間は仇敵のような例も随分ありますけれども、肥後の熊本に限っては、今の細川家が、先の加藤家の崇信者であり、同情者でありますから、加藤の名によって肩身が広くなるのです。そういうところですから、拙者は姉と違って、熊本を故郷なりとします、今、名古屋城をお前に与えるからと言っても、それを受けて住む気にはなれないのです。梶川氏、貴君もぜひ、熊本へ来てごらんなさい、必ず熊本が好きになるにきまっている。しかし、拙者は拙者として、斯様《かよう》な愛着に生きているけれども、姉のああした気象と意気を軽んずる気にはなれない、あの見識で生きている姉を尊敬しなければならないのです、よって、正面から姉の精神を斥《しりぞ》けるわけにはいかないのです。男子は裸一貫と、意気とで生きなければならない、系図に物を言わせるようになってはおしまいだと言いたいのですが、姉のあの気持を尊重するとそれが言い出せない、ですから、貴殿は姉を見ついで
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