》して怖れをなしてるんだから、いよいよ甘く見られちまわあな、それに比べると、何といっても、掃部様はエラかったな」
「掃部様はエラかったよ、浪人者のめぼしい奴は、片っぱしから引っとらまえて、御三家であろうと、大名であろうと、公卿侍であろうと、容捨はなかったあ、掃部様は豪勢だったよ」
「あの時にお前、やられた侍のうちにゃ、またエライ奴がいたんだてな、長州の吉田寅次郎だとか、越前福井の橋本左内だとか、梅田うんぴん、なんて手合は、ザラにあるインチキ浪士とは違って、惜しい人物だって、みんなが言ってるが、そんなのを片っぱしからとっ捕めえて、命乞いがあろうがなかろうが、南瓜《かぼちゃ》をきるように、首をちょんぎってしまった、あんな芸当は掃部様でなきゃ出来ねえ」
「そうだ、そうだ、このごろの浪人共ののさばり方といったら、いってえどうだ、旗本の意気地なしときたらどうだい」
「全く増公《ますこう》の言う通りだ、どだい徳川の旗本が意気地なしだあから、そうだあから、又者《またもの》の国侍共《くにざむれえども》が、浪士風を吹かして、お江戸の真中をあの通りのさばり返っていやがる、旗本が意気地がねえんだ」
「そうだとも、旗本八万騎が何だい、旗本がすっかり骨無しになっちまったから、浪人がのさばるんだな、徳川の世も、こうなっちゃいよいよお陀仏《だぶつ》だ」
「時勢が変動するよ」
それを聞くと、神尾主膳はムッと聞き腹です。隠亡風情《おんぼうふぜい》として許し難き冒涜《ぼうとく》の言い草だ、隠亡風情までが、こうまで時の天下を見くびるようになった!
神尾主膳は、追われている自分の身の危険を忘れて拳を握り、髪の毛を立てて怒りました。
八十五
しかし、いくらなんでも、この際、飛び出して、隠亡相手に喧嘩を買って出るほどの無茶も為《な》し難い。やむなく、憤りを抑《おさ》えて、なお元のままでひそんでいると、隠亡の時勢論は焚火の勢いと共にまた火の手をあげる。
「もう一ぺん掃部様が出て来なくちゃ駄目だな」
「そうだ、もう一ぺん掃部様が出て来て、浪人共に目にもの見せてやらねえことにゃ、将軍様が持ちきれめえ」
「いよいよ江戸が将軍職を持ちきれねえとなると、天下はどうなるだあ」
「そりゃ薩摩にやられるだろうてことだぜ」
「薩摩っぽうが天下ぁ取るのか」
「そうよ、薩摩っぽうは、昔から徳川の天下を覘《
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