わない道庵は、さすがにそこに気がついたと見えて、急に、
「ハ、ハ、ハ」
と、いやに笑いくずして、
「と、いったものさ、近江の人に言わせると、近江泥棒、伊勢乞食というあれは、語呂の間違いで、本当は近江殿御に伊勢子正直というんだそうだ、その方が正しいのだそうだ。ところで近江の人間は商売が上手で、その道で成功する、伊勢の人間は貯蓄心に富んでいるから、金持になる、近江の人間が成功して大商人になり、伊勢の人が金を貯めて金持になる、それをケチな奴等が嫉《ねた》んで悪口を言ったのが、すなわち近江泥棒、伊勢乞食となったのだ、ひとの成功を羨《うらや》むケチな了見《りょうけん》の奴が、得てして真面目正直の成功人種をとらえては、そういうケチをつけたがる、取るにたらねえよ、怒んなさるな、ハ、ハ……」
と道庵が、自分で弁解をつけて、いいかげんに如才なく笑い崩したところは、やっぱり旅へ出ての引け目である。この先生の食えない一面である。
 そういう下らないことを口走りながらも道庵は、やっぱり屏風に着けた酔眼をしつこくして、
「といったものだが、屏風の中にいらっしゃるのは泥棒だか、聖人だかわかりはしねえ、この近江の国には、泥棒もいるか、いねえか、その事はよく知らねえが、聖人だけは確かにいる、その点は道庵が保証する、近江聖人といって立派な聖人がいる、こいつはゴマかしものじゃねえ、近江聖人は本場の唐《から》へ出しても立派な聖人で通る男だ、本格の聖人だ、近江なんぞへ置くのは惜しい男だよ、ああいうのには道庵も頭が下るねえ――ところで、その屏風の中にいらっしゃるのは、泥棒でげすか、そもそもまた聖人でげすかな、然《しか》らずんば君子――君子でげすかな。君子、君子、君子にも梁上《りょうじょう》の君子というやつがござる、大方その梁上の君子というやつでござろうな。盗人の昼寝といってな、白昼、人の家に忍んで昼寝をする奴は油断がならねえ、名乗んな、尋常に名乗んな、名乗って出ればお近づきに一杯飲ませて上げるが、いよいよ狸とあってみれば、退治るよ」
と言ったかと思うと、道庵がすっと立ち上って、屏風に向って歩み寄って来ました。
 しらばっくれてはいるけれども、道庵として合点《がてん》なり難き一応の不審を感じたればこそ、管まきにかこつけて、一応の検討をしてみようという気になったらしい。

         三十三

 道庵先生
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