った」
仰向けに、だらしなく寝たまま、柄になく涙を無性に流しつづけて、女はこう言いました。
十九
そうすると、どう勘違いをしたか、マドロスは急に申しわけのないような狼狽《ろうばい》の態度を示して、そうして哀願的に、
「オ嬢サン、ドウモ済ミマセンデス――ワタシ、悪イ気デシタノデハナイカラ御免クダサイ、オ嬢サンニ取ッテ置キノ珍シイモノ聞カセテアゲタイト思ッタデス、ソレデ、コンナ陰気ナノヲヤッテ、オ気ニ障《さわ》ッテ済マナイコトアリマス。コンドハ、モット賑ヤカナノ、嬉シイノ、陽気ナノ、ヤリマショウ、オキキナサイ」
女は、その申しわけに答えて言うよう、
「そういうわけじゃないの、わたしが泣けたというのは」
「泣クノオ止シナサイ、ワタシ、コレカラ陽気ナノ唄イマス、今度ハ支那ノ、唄イマショウ、茂チャン、アノ唄、好キ、ソレ唄イマショウ、支那ノ……」
この野卑にして下等なる音楽者は、それにしても、ここでもやっぱり国際的でした。前回の失敗の名誉回復をやり出すような意気組みで、今度は支那の音楽にとりかかろうという。
国境に於てはだいぶ近くなったけれども、その内容のわからないことは、依然として同じこと。わからないながら、これはたしかに以前の異国のとは違って、陽気で、暢《の》びやかなところが多い。そうして最後へ持っていって、
[#ここから2字下げ]
チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
ツアン
ツアン
チーカ、ロンドン、ツアン
パツカ、ロンドン、ツアン
[#ここで字下げ終わり]
と附けることは、女も以前からしばしば聞かされたものです。ことに清澄の茂太郎は、この口合いを喜んで、例の出鱈目《でたらめ》を日本語で唄い終っては、その最後へ、これに傚《なら》って、
[#ここから2字下げ]
チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
[#ここで字下げ終わり]
をくっつけるのを得意としていたことを、女もよく知っている。これを聞くと、茂太郎もどきに自分も踊り出したくなるので、いつか心持も陽気になってまいりました。それを見るとマドロスは、娘のお気に叶ってその御機嫌を取り直したことを嬉しがって、なお馬力をかけながら、何ともわけのわからない支那唄を声高くうたって、手風琴に合わせながら、その終りに右の、
[#ここから2字下げ]
チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
[#ここで字下げ終わり]
を折返すと、女もいい気持になって、ここぞと思うあたりで、先を越して、
[#ここから2字下げ]
チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
[#ここで字下げ終わり]
をやり出すものですから、期せずして合唱の形となって、今の先とは打って変った和気と、陽気とが、飄々《ひょうひょう》としてただよい出したというものです。
時に、日が暮れかかりました。
「オ嬢サン、提灯《ちょうちん》ヘローソク入レマス、オ待チナサイ、ソウシテ、今夜ワタシ、アナタノ淋シイノヲ慰メルタメニ、一晩中、器量一パイウタイマス、ワタシ、知ッテル世界ノ国々ノ唄トイウ唄、ミンナ歌イマス、イチバンシマイニ日本ノ、歌イマス……夜ガ明ケテモカマイマセン」
マドロスは、すっかり興奮しきっている。女も以前のようにむずかりません。
二十
そうしているうちに、北上川の沿岸に夜が来ました。
夜というものは、ありふれた風景でさえも、少なくとも一世紀は昔に返して見せるものなのですが、この辺の風物そのものが、日中でさえすでに近世紀の代物《しろもの》ではないのですから、夜になると、蒙蒼《もうそう》として太古の気が襲うのは当然です。
いいあんばいに、いつのまにか実に明るい月がかがやいていました。夜は風景を遡上《そじょう》して見せるけれども、月は時と人とをして、時間の上に超然たらしめる。
[#ここから2字下げ]
今の人は古時の月を見ざりしかど
今の月は曾《かつ》て古《いにし》への人を照らしたりき
古人今人、流るる水の如く
共に明月を見て皆かくの如けん
[#ここで字下げ終わり]
と微吟して、大きな柳の木蔭から、この北上川の沿岸の蒙蒼たる広原の夜気の中へ、のそりと歩き出した黒い人影がある。と、その後ろに引添うようにして、もう一つの黒い小さい人影が現われました。
一体にこの辺は、柳の大樹が多いのです。その謂《いわ》れを聞いてみると、源義経が奥地深く下る時に、笈《おい》に差して来た柳をとって植えたとか、植えなかったとかいうことで、今は大小高低、何千株の柳の老大樹が、断々離々として堤から原野へかけて生い連なっている。右の二つの人影は、その謂《いわ》れある柳の老大樹の林の中から身を現わして、堤を越え、原を横切り、小径《こみち》を越えて、柳の中に入り、また柳の中を出でつして来たものらしかったが、ここに至って柳の老大樹の林を全く後ろにして、そうして広い原の真只中へ露出しました。
右手には翁倉《おうくら》、黒森《くろもり》の山々が黒く十三浜の方に続いている。その広い原の真只中で、さきほど月に向って唐詩を微吟したところの大きい方の黒い影が後ろを顧みて、
「君、恐山《おそれざん》という山は、よっぽど高い山かね」
その声を聞くと、それは日中、渡頭《わたしば》を徘徊していたところの、下野《しもつけ》の足利の貧乏にして豪傑なる絵師田山白雲に相違ありません。そうすると、振返って呼びかけられた後ろの小さい方の黒法師が直ちに答えました、
「高い山じゃないですね、そう大して高いという山じゃないです」
直ちにこう答えたのは、これも日中、渡頭で居合抜きの芸術を鮮かにやってのけて見せたが――旅行券では、すっかり悄然返《しょげかえ》ったところの恐山出身の柳田平治に相違ないのです。この二つの黒法師は、黒法師っぷりとしてかえって調和がありました。田山白雲はすぐれて容貌魁偉《ようぼうかいい》であるのに、柳田平治は普通よりは小柄です。白雲の刀も普通よりは長いには長いが、身体には釣合っている。柳田平治のはただ一本、長過ぎることは昼間と変らないのです。こうして二人が相前後して北上川の沿岸の月の平野の夜を、我語り、彼答えつつそぞろ歩いて行くのですが、柳田平治は今の返答に附け加えて、
「南部の恐山といえば、なかなか有名ですから、人はすてきに高い山だと思いますが、山はさほど高くはないのです。山は高くないけれども、形相《ぎょうそう》の変った山でしてね、恐山には地獄が九十九個所あって、極楽がたった一個所だと言われます、なんにしても恐山は登る山でなくして寧《むし》ろ下る山なのです」
と言いました。
二十一
「山へ下る――」
と言って、田山白雲の黒い影が、ちょっと淀《よど》みました。
どんな山でも山という以上は、人間としては上るべきものである。山へ下るということは、あるまじきことである。柳田平治も当然それを補わなければならないのですが、特に註釈をしませんでした。それを田山白雲もおしてたずねようともせず、閑々として歩みつづけます。
かくて大小二つの黒法師は、いよいよ広原の中の月光の下に、鮮かに黒法師ぶりを発揮しながら無言の進行をつづけましたが、この二人ともに、遠目では、かく悠々閑々たるそぞろ歩きを続けているように見えるが、事実上は、歩みながら絶えず、往手《ゆくて》と左右の草原から、沼、橋、森蔭をまで、隈なく見透さんとした身構えで歩んでいるのであります。
そのかなり細心に働いている首筋の異動と、眼光のつけどころを見ていると、ただ月に乗じて浮かれ出したものでないことは明らかであります。何か目的あって、それを探し索《もと》めるために出動したものと見なければならないのです。
それが微吟となったり、閑話となったりして洩《も》れて来るのは、その目的に達する間の道草に過ぎないと思われる。
「先刻から聞いていると、君はその恐山の林崎明神のお堂で居合を修行したということだが、してみると君の居合の流儀は、林崎流の居合なのだね」
「いや、そうじゃないです、林崎明神というのは、恐山の一部にある名所の名でして、林崎流の居合とはなんらの関係がないです、僕の修行したのは浅山一伝流なんですが、それも純粋の浅山一伝流というには少々恥かしいでしてね、コツは習いましたけれども、やり方は未熟な自己流ですから、本場へ出て練り直さなければならない、と考えとるです」
「なるほど」
と白雲は頷《うなず》きました。この青年、いよいよ存外に謙遜と自省とがある。この謙遜と自省とがある限り、まだ修行が伸びる。
というようにも感心してみたが、いやいや滅多に感心してはならない、青年や、愚者を、うっかり過分に賞《ほ》めてみせると、かえって生涯を誤ることがある。
「今、林崎流の居合のそのままの型は、どこに残っているか知らん。林崎を祖として、それから出でた流派は多いが、林崎流そのままの伝統を抜くというのはあまり聞かないね」
「そうです、浅山一伝流も林崎甚助から出たのです。先生、あなたも居合をおやりになりますか」
と、今度は柳田平治がたずね方に廻ると、田山白雲が、
「到底、君のように器用なわけには行かんけれど、一通り稽古するにはしたよ、僕のはちょっと変っている、鶴見流といってね」
「鶴見流ですか……」
「あまり聞き慣れない流名だろう、だが、それを伝えた老教士の口と、腕とには、なかなか敬服すべきものがあったねえ――その流祖の鶴見というのは、年代はよく知らんが、たしか戦国時代の人であって、一つ面白い逸話を聞いている、こういう話だ、まあ聞いて置き給え」
打解けた物語りをしながら、白雲の眼は絶えず前面の広野の四方にめぐらされている。どうしても月を見ながら散歩のための閑談ではない。
二十二
「越前家に、なにがしという武功の者があったのだが、これが何か犯せる罪あって出奔《しゅっぽん》し、三国山へ籠《こも》ったのを、右の鶴見が殿の仰せを受けて召捕りに向ったのだが、その仰せを受けた時に、鶴見が返答して言うことには、それがしはまだ人を召捕りに向った経験がござらぬ、もし召捕りそこねた時には拙者一人の恥ではござらぬ――というようなことを申し出ると、ただ何でもよろしいから行け、もし召捕ることができなかったら斬捨ても苦しうない、とこういう上意なので、しからばもはや辞退いたすべき限りではござりませぬ、と言って鶴見殿が出立したのだね」
白雲はこのようにして、月の広野原を歩みながら語り出すと、柳田が、
「その時に、鶴見先生のはらはもう決っていましたね」
「そうして、先方へ行くと、どういう知恵を働かせたか、とにかく、その相手の武功者をだね、それを縄にもかけなければ、刀を差させたままで連れ出して来たんだね。そうして、召連れた二十人ばかりの者と一緒に、舟に乗せて城下へ漕ぎつけることになったのだ。その召連れて来た武功者は、聞えたる大力の大男でね、鶴見は反対に君のような――と言っては失敬だが、とにかく小兵《こひょう》な男であったそうだ。それが右の武功者を縛りもしないし、刀を差させたままで、同じ舟の中へ連れ込んで打解けているものだから、警固の足軽連が心配したのも無理はないね。その時鶴見は艫先《ともさき》の方に腰をかけていたそうだが、右のお咎《とが》め者も鶴見の傍に船ばたにもたれている、鶴見が茶をすすめるとそれを飲み、何かと無難に物語りをしているうちに、船が城下近くなろうとした時、右の武功者が、乗組の油断を見すましたか、つうと水の中へ飛び込んでしまった。さてこそと警固のものが眼の色を変えて狼狽《ろうばい》したのだ」
「なるほど……」
「だから、言わぬことじゃない、あれほどの武功者を縄もかけず、大小も取上げずに召連れて、それに悠々と茶などを振舞って世間体にもてなしていたのが緩怠千万――なんにしても大事のめしうど、取逃がしては一大事と、皆々続いて水中に飛び入ろうとすると、鶴見は少しも狼狽《あわ》てず、以前の通りに艫先に腰かけていて、右の手で髭《ひげ》をひねり
前へ
次へ
全56ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング