のでございますが、眼は見えませんでも、私には勘というものがございまして、天にはお天道様というものもございます、このお天道様のお光と、この頭の中の勘というものとを照し合わせてみますると、方角というものはおおよそわかるものでございます。ですから、これはやっぱりわたくしが悪いのでございました、責任がわたくしにあるのでございました、米友さんはただ舟を漕いでいただけばよいのでございました、右とか、左とか、取り梶とか、おも梶とかいうことは、その時々刻々、わたくしが言わなければならないのを怠りました、それ故に舟の方向をあやまらせてしまったのは、米友さんが悪いのじゃありません、案内役のわたくしが悪かったのです、米友さんの胸の中を考えるために、私がよけいな頭を使って、舟の方がお留守になりました、それ故ほんの一瞬の差で、舟の全針路を誤らせてしまいました。わたくしたちは全く別な心で出直さなければなりません、そうでございませんと、湖とは申せ日本第一の大湖、周囲は七十里に余ると承りました、迷えば方寸も千里と申します、ましてやこの七十里の湖の中で、二人は迷わなければなりません。米友さん、少しの間、舟を漕ぐことを止めていただきましょう、そうして、ゆっくり、わたくしがこの頭で考え直します、そうして、全く心を置き換えて、再び舟出をし直さなければ、竹生島へはまいれませんのでございます」

         百三十五

 米友が、ついに堪りかねて、憤然として弁信のお喋りの中へ楔《くさび》を打込みました。
「わからねえ、わからねえ、お前の言うことは一切合財《いっさいがっさい》、ちんぷんかんぷんで、早口で、聞き間に合わねえが、つまり、舟の行先が間違ったというんだろう、なあに、間違やしねえよ、爪先の向いた方へ真直ぐに漕いで来たんだ」
「それが、米友さん、自分は真直ぐなつもりでも、出発点というものが誤ると、その真直ぐが取返しのつかない道へ突っかけるものなのです、竹生島へ参りますには、戌亥《いぬい》へ向いて参らなければならないのに、この舟はいま未申《ひつじさる》の方へ向いて進んでいるのです、これでは竹生島へ着きません」
 米友は櫓の手を止めて、弁信の言葉にはあんまり耳を傾けず、渺々《びょうびょう》たるみずうみの四辺をグルグル見廻しておりましたが、急に威勢のはずんだ声を出して、
「待ちな――」
と言いました。
「待ちな、弁信さん、お前さっきから目も見えねえくせに、方角が違うの、この分では島へ着けないのと、ひとりぎめでやきもき言っているが、論より証拠だ、見な、島が見えるよ、つい、その鼻の先に、立派な島が浮いてるよ」
「えッ――島がありますか」
「見な――と言ってもお前にゃ、見えねえんだな、おいらのこの眼で見て間違えがねえ、そら、ちゃんと、この指の先に島があらあ」
 米友が指さす前には、たしかに蓬莱《ほうらい》に似たような島が浮んでいることは間違いがないのです。それは雲の影とあやまるにはあまりに晴天であり、陸岸の一部と見るには輪郭が鮮かに過ぎる――指さす目的物は見えないが、弁信が全く小首を傾げてしまいました。それは、今まで信じ切った自分の勘というものに自信が持てない。そういうはずはない。眼で見ることには見誤りがあっても、勘で行くことには誤りがないと、自ら信じて疑わない弁信法師が、この場合、正直な米友から、明白にこう証言されてみると、それをも疑う余地はないのです。
 自分の勘によると、この舟は全く針路を誤ってしまったから、このままでは目的の竹生島へは行けないのみか、かえって全くそれと相反《あいそ》れた方面へ進んでしまう――と信じ切っていたのに、眼前に島が現われた時間からいえば、まさに竹生島に到着してもよい時間になっている。そうして、両眼の明らかな、心術の正直な同行の人が、現物を指して、島があるというのだから、弁信が考え込まざるを得なくなったので、
「米友さん、違やしませんか、もしやそれは、水の上や海岸に起りがちな蜃気楼《しんきろう》というものではありませんか――そちらの方に竹生島があるとは、どうしても考えられません」
 それをも米友は、頑《がん》として受けつけないで言いました、
「蜃気楼なら、おいらも伊勢の海にいて知っているよ、あんな竜宮城とは違うんだ、そら、あの通り岩で出来て、木の生えた島が浮いている」
「では、やっぱり、竹生島でございましょうかしら、いつのまにか舟が北をめぐって、そうして竹生島の裏へ出たのかもしれません、そういうはずはありません、断じてありませんが、事実が証明する上は仕方ございません、わたくしの勘のあやまちでございましたか、或いは出舟の際の水先のあやまりでございましたか……」
「とにかくあの島へ舟を着けてみるぜ、いいかい、弁信さん」

         百三十六

 しかしながら、これは米友の眼の誤りでないことは勿論《もちろん》、弁信の勘の間違いでもなかったのです。
 竹生島を南へ三里余の湖上に、竹島というのがある。一名|多景島《たけしま》ともいう。そこへ二人は小舟を着けたのです。悲しいかな、能弁博学の弁信法師も、竹生島あることを知って、竹島あることを知りませんでした。米友に至っては、巧者ぶった弁信の鼻っぱしを少々へし折ってやった気持で、揚々として舟を沿岸の一角につけてみました。
 そうして置いて、弁信を舟から助け出したのですが、その時に弁信は、もう座前へ置いた琵琶を頭高《かしらだか》に背負いこんで、杖をつき立てていました。
 米友が案内に立って、この岩角の一方に路を求めつつ島の表口へ出ようとしたが、篠竹《しのだけ》が夥《おびただ》しく生えていて道らしい道がないので、押分け押分け案内をつとめ、ようやく小高い一角へ出ると、そこで早くも弁信のお喋《しゃべ》りが展開されてしまいました。
「米友さん――やっぱり違いました、この島は竹生島ではございません」
「じゃあ、何という島だ」
「何という島だか、わたくしは聞いてまいりませんでしたが、たしかに違います、竹生島と申しまする島は、金輪際《こんりんざい》から浮き出た島でございまして、東西南北二十余町と承りましたが、この島はそれほど大きい島ではございません」
「はーてな」
「これは何という島か存じませんが、ずっと小さな島です、多分人間は住んでおりますまい。ともかく高いところまで登りつめてごらんなさい、そうすれば必ず四方見晴しにきまっております、そこで、あなたの眼でよく見定めていただきましょう、竹生島は、あちらの方へさほど遠からぬところに見えなければならないはずでございます、南の方は陸つづき、多分、彦根のお城の方になりましょう、あなたの目でよく見届けていただきます」
「よし来た」
 米友は、心得て弁信を案内し、道なき岩道をのぼりかけたが、竹が多いし、大木もある、その木の上に真黒い鳥が夥しくいる。巌の下の淵《ふち》をのぞくと、また夥しい美鳥がいる。
「下のは鴨、上の真黒いのは何だい、烏じゃねえ、鵜《う》だ、鵜だ――畜生、逃げやがらねえ」
と、岩角で地団駄を踏んでみて舌を捲いたのは、この夥しい鳥が、ちょっとやそっと威《おど》してみたところで、お感じのないことです。
「畜生、畜生――」
 米友が、ムキになって鳥を追うものですから、弁信が、
「米友さん――鳥が驚かないのが人の住まない証拠です、島が小さくて、畑を作るべき土地も、面積もないから、人が住まないのです」
 斯様《かよう》に弁信が断定を下しながら、米友を先に立てて行くうちに、米友がまたも叫び出しました、
「弁信さん――お前の言うことは、どうもあんまり当てにならねえ」
「どうしてですか」
「お前は、この島に人が住まねえと言ったが、これこの通り、ちゃんと、人の住んだあとがある」
「え?」
「これ見な、この岩の一角を切り拓《ひら》いて、ちゃんと人間の住居《すまい》がこしらえてある、これ見な、やあ――木魚があらあ、お経の本があらあ――鉦《かね》太鼓があらあ……」
 米友は自ら好奇をもって進入したところには、岩に沿うているけれども洞穴ではなく、たしかに人間のむすんだ草の庵《いおり》があるのです。

         百三十七

 弁信の人が住んでいないと言ったのも、米友の人が住んでいると証明したのも、どちらも誤りではありませんでした。
 その草の庵には、過去に於て、人の住んでいた痕跡は充分ですが、現在に於て、人の住んでいないという証拠もたしかです。
 米友は遠慮なく、中へ入って調べてみると、米塩があり、炊爨具《すいさんぐ》があり、経机があり、経巻があり、木魚があり、鉦がある。たしかにここで、或る期間、行いすましていた修行者があったのだ。
「南無妙法蓮華経と書いてあらあ」
 机の上の経巻を取り上げた米友はこう言って、また投げるように机の上へさし置いた時に、縁に腰かけて休んでいた弁信は、何と思ったか、頭高に負いなしていた琵琶を、えっちらおっちらと背中から取卸してかたえに置くと共に、自分は腰かけたままで、つくづくとものを考えさせられているもののように、首低《うなだ》れてしまいました。
 その間に米友は、いっさんに後ろの高い巌角の上にはせ登って、そこに突立って、琵琶の湖水の展望をほしいままにしました。
「素敵だなあ! 豪勢だなあ!」
と、方向を物色することは忘れて、風景の大観に見惚《みと》れてしまったようです。
 米友は、久しく海を見ませんでした。この道中は名にし負う木曾街道でしたから、海というものを眺める機会があろうはずがない。ゆくりなく、尾張の名古屋城の天主閣へ登った時、海が見えないとは言わないが、海を見るより鈴鹿峠の山を遠く眺めて、歯ぎしりをしました。
 今日只今ここに立って見ると、見ゆる限りは水です。この水は潮ならぬ海とはいうけれども、潮の有ると無いとを論ぜず、米友の眼では満目の海を眺めて舌を捲いたが、詠嘆の次に来《きた》るところのものは伊勢の海の風光でした。伊勢の海以来、米友は海を見たことがない。海を見たことがないとは言えないけれども、伊勢の海だけが、生涯のうち全く忘れがたなき海の印象として残されている。
 ことにあの、大湊《おおみなと》の一夜――あの時に、あの晩に、お君を擁護して大湊の与兵衛の舟小屋をたずねなければ、こういうことはなかったのだ。あれがああなって、ああいう義理で、あの旅の武士のために、危機を冒してあの大湊の与兵衛の舟小屋をたずねなければ――
 米友は物を見ると聯想が早い。米友のは聯想が忽《たちま》ち混線となる、混線がやがて無差別となる。一時はすべての若い女がみんなお君の姿に見えたことがある。今や琵琶の湖も、伊勢の海も、米友の頭の中ではごっちゃになり、今の時も、大湊の一夜の時も、差別がつかなくなってしまいました。
 だが、本来は馬鹿でないこの男は、忽ち醒《さ》めて、そうして、確《しか》と湖水の四方の陸と島とを弁別してから、以前の庵のところに立戻って来ると、弁信法師は以前のままの姿で首低《うなだ》れて考え込んでいましたが、やがて言いました、
「米友さん、わたくしは暫くひとりでこの島に留まりますから、あなただけお帰り下さい、帰って胆吹山の皆さんに、よろしくお伝え下さい」

         百三十八

 牡鹿半島《おじかはんとう》の月ノ浦に碇泊している駒井甚三郎が新規創造の蒸気船「無名丸」の、檣《マスト》の上の横手に無雑作に腰打ちかけて、高らかに、出鱈目《でたらめ》の歌をうたい込んでいるのは清澄の茂太郎。
 今晩は星の夜です。最初のうちは無言に星の数を数えていましたが、天文に異状なしと認めて、それから例によって出鱈目の歌にとりかかりましたのです。
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ジンド・バッド・セーラ
ジンド・バッド・セーラ
ジンド・バッド・セーラ
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 これを、幾度か声高らかに、高いマストの横手の上で唱え出したものですから、静寂な石巻湾の天地に響き渡りました。
 あたりにもやっている船でも、港の漁家でも、このごろはさして、それに驚きません。
 
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