、ことごとく謝絶してしまっておりました。
 それを、近ごろになって、与八が伊太夫に頼んで再び公開のことを申し出でたのを、今度は伊太夫がすんなりと承知してくれました。その上に、設備万端の費用もおかまいなしというようなわけで、与八の前へ棟梁《とうりょう》を呼んで、自分から言いつけて工事をやらせるという徹底ぶりにまでなったのですから、与八の本望は申すまでもなく、大工さんたちも、
「わたしたちもこれで願いがかないました、この仕事は人助けのためだから」
と言って、奉仕につとめてくれたことですから、日ならず立派な公開浴場が出来上りました。
 遠近、聞き伝えて欣《よろこ》ぶことは容易ではありません。病人たちは、その噂だけで再生の思いをした者もありました。
 木の香新しい浴室の中央へ地蔵様を据えつけると、与八はそこで風呂番をつとめました。そうして湯加減を見るために、いつも最初の朝湯は与八自身がつとめました――というのは、一つはこのお湯の効目を、とかく病身がちな郁太郎というものに蒙《こうむ》らせてやりたいということも、最初の希望の一つであったのです。
 そこで風呂が沸くと、与八は真先にお毒見をするつもりで、郁太郎を抱いて新湯を試みました。
 ある日、与八が余念なく入湯していると、その姿を立って眺めているお婆さんが一人ありました。このお婆さんは、きりりと身ごしらえをして、かなり道中の雨露を凌《しの》いで来たと見られる手甲脚絆《てっこうきゃはん》をつけて、笈摺《おいずる》のようなちゃんちゃんこを着て、そうして、草鞋《わらじ》がけで竹の杖をつき立てて、番台の下まで進んで来たのですが、どうしたものか、そこですっかり与八をながめ込んでしまったのです。
 与八は、そんなことにはいっこう頓着なしに、しきりに郁太郎を手拭で撫でさすっておりましたが、やがて、眼を上げて見ると、番台の下に矍鑠《かくしゃく》たるお婆さんが一人、突立ってこちらを見ているのに気がついて、急に大きな頭を一つ、がくりと下げ、
「お早うございます」
と、例によって、馬鹿ていねいに挨拶しますと、右のお婆さんが、
「お前さんは、いい人相だねえ」
 挨拶を返すことを忘れて、惚々《ほれぼれ》とこう言って感歎の声を放ちます。
「へ、へ」
 与八としては気のいいえがおをもって、お婆さんの感歎に答えるだけでした。

         八十四

「お前さんは、いい人相だねえ」
と、矍鑠たるお婆さんは二度《ふたたび》繰返して言いますと、
「へ、へ、へ」
と、与八は相変らず人の好い笑面《えがお》を以てこれに答えました。
 いい人相だと言われたために、はにかむでもなく、またいやに卑下謙遜するでもなく、先方の好意を好意だけに受けることを知っておりました。
 矍鑠たるお婆さんは、どうしても与八の人相をそのままでは見過しはできないという執心ぶりでしたが、
「お前さんのような、いい人相を、今まで見たことがありませんよ」
「へ、へ、へ」
と与八は所在なさに、手拭で郁太郎の頭から面を、押しかぶせるようにブルッと一つ撫で卸してやると、お婆さんは、
「それじゃ、まあ御免くださいよ」
と言って、クルリと向き直り、入口へ腰を卸して早くも草鞋を取ってしまいました。
 草鞋を取ってしまうと、与八の傍へ寄って来て、
「お前さん、いくつにおなりだえ」
 改めて年齢を聞かれたので、与八は、また改めて答えました、
「数え年の四つになりますでございますよ」
「違うよ、わたしは、その子供さんの歳をたずねているのじゃありませんよ、お前さんの歳を聞いているのですよ」
「はあ、わしでございますか、わしは二十《はたち》でございますよ」
「二十――なるほどね」
とお婆さんが、また深く感心してしまいました。
 前に感心したのは、その人相がいいということでありました。しかし、今の返答ぶりで見ると与八は、この矍鑠《かくしゃく》たるお婆さんから、自分の人相がいいといって感心されたことをお感じがなかったようにも見える。何となれば、改めて年齢を聞かれた時に、数え年の四つだと答えました。
 してみると、いい人相だと賞《ほ》められたのは自分でなく、自分の抱いているこの郁太郎のことだとばっかり考えていたのに相違ない。与八としては、今までずいぶん、自分の体格がいいということは、人からほめられるに慣れている。かっぷくがいいということだけは、子供の時分から賞められているから、これは今では人も称し、自らも称すことになっている。それから次に、力がある、力量が非凡であるということも、それを発揮した時に人から認められもし、驚歎されもすることに慣れきっているけれども、特にこうして「人相がいい」ということを頭から感歎されたことは、あまり例がないのです。
 感心するならば、こうして、素裸《すはだか》で、肉体をたっぷり漬っているのだから、まず誰もがするように、「いい体格ですねえ」とか、「たいしたかっぷくですねえ」とか、まず、感歎の声を放つのが例であるべきのに、この矍鑠たるお婆さんは、肉体のことなんぞはてんから問題にしないで、いちずに「いい人相」ということに感歎これを久しうして、それでも足りないで、「お前さんのような、いい人相を、今まで見たことがありません」と、最大級に附け加えたことです。
「へ、へ、へ」
 そうなってみると、与八も多少気恥かしいかして、こんどは眼を伏せて、郁太郎の肩を和《やわ》らかに撫で出しました。

         八十五

 やがてお婆さんは、いちいちその衣裳を解いて笊《ざる》の中に納めました。
 このお婆さんは、出入りばなに与八の人相をほめ上げただけで、この浴場に対してはなんらの挨拶をしませんでした。済みませんがどうぞ一風呂振舞っておくんなさいまし、ともなんとも言わずに、早くも衣帯を解いて入浴を試みようという態度は、当然入浴を為《な》し得る権利があるものかのように見えます。たとえ無料で施しのための湯であるとはいえ、何かそこには辞儀と挨拶がなければなるまいに、このお婆さんの態度が無遠慮なのは、故意にするわけではなく、多分、与八の人相そのものを鑽仰《さんぎょう》することに急で、挨拶の方も、お礼の方もお留守になっているうちに、すっかり忘れてしまったものでしょう。
 その時分に、与八はおもむろに湯槽から郁太郎を抱いて上って来ました。郁太郎の身体《からだ》を拭いて、着物を着せてやり、笊の傍に坐らせて置いて、自分は裸一つのままで番台の方へ行きましたが、土間を見ると、お婆さんの穿《は》いて来た草鞋《わらじ》が無造作に脱ぎ捨てられているのを見て、与八は、こごんでその草鞋を丁寧に取り上げると、それをじっと二つの手を以て押しいただいてから、傍らの番号を打ってある下駄箱の中へと納めました。
 その時分は、お婆さんの方は、早くも湯槽に身を漬けておりました。与八、郁太郎が上ってしまってから、湯槽の中はお婆さんの一人湯です。
 そこで、いい気持そうにお婆さんは唸《うな》りながら、面《かお》を拭いて、こちらをながめておりましたが、今、与八が自分の草鞋を押戴いて棚の中へ納めたのを見て、一時、眼を皿のようにしましたけれども、また、改めて、にっこりと心持のよい笑い方をして納まってしまいました。
 そうこうしてお婆さんは湯槽から板の間に出ると、小桶に湯を汲んで自分の身を洗いはじめますと、いつのまにかお婆さんの後ろには与八が立っていて、
「お婆さん、流しましょう」
と言いました。
「済みませんねえ」
 お婆さんは心から感謝しつつ、それでも辞退はしないで、与八の方へ背中を向けていると、与八は和らかにお婆さんの背中を流しはじめたのです。
「ねえ、若衆《わかいしゅ》さん」
 いい心持になりながら、お婆さんは改まった調子で与八に問いかけましたから、
「何です、お婆さん」
「お前さんに一つ、聞きたいことがあるのですがねえ」
「わしにですか」
「はい」
「わしゃ何も知らねえでがすよ」
「聞きたいというのは、ほかのことじゃないがね、今、ここで見ていると、お前さん、わしの草鞋を棚へしまって下すって有難う」
「どういたしまして」
「その時に、お前さん、わたしの草鞋へ何か変なことをしやしなかったかね」
「なあに、別段、悪いことをいたしやしませんでした」
「悪いことじゃないよ、変なことをね」
「別に変なこと、何もしやしませんよ」
「そうじゃありませんよ、ちゃんと、こっちで見ていましたがね、お前さんは、たしかにわたしの草鞋を取り上げて押戴きましたね、草鞋というものはお前さん、足へ穿くものですよ、頭へ載せるものじゃありませんよ」

         八十六

「どうも済みませんことでございました」
と与八は、お婆さんに詰問されて、一も二もなくあやまってしまいました。
「いいえ、お前さんにあやまってもらおうと思って、わたしはそれを咎《とが》め立てをするのじゃありません、あんまり、することが変だから、ちょっと聞いてみたのです」
「どうも済みません」
「済むの済まないのじゃないですよ、どうして、お前さん、あんな真似《まね》をするんですか、それを聞いてみたいんですよ」
「別段、わけも学問もあるのじゃございません」
「でも、人のしないことをするからには、何かしくらいがなけりゃならないでしょう、隠さずに話してみて下さいよ、若衆《わかいしゅ》さん」
「どうも仕方がありません、こうなりゃあ、みんな申し上げちまいます」
と与八は、白洲《しらす》にかかって白状でもさせられるように、多少苦しがって申しわけをしようとする。お婆さんはそれをなだめて、
「いや、お前さん、なにもお前さんが悪いことをしたから、咎めるんじゃありません、そんなに窮屈がらずに話してごらん」
「では話しますがね、お婆さん、こうなんですよ、わしゃ、どういうものか、あの草鞋《わらじ》を見ると、自分のもの、人様のものに限らず、むやみに有難くなり、勿体《もったい》なくなってしまって、つい押戴いてみる気になっちまう癖なんでござんしてね」
「変った癖ですね、どうしてまた、あの草鞋なんぞが、そんなに有難く、勿体なくなるもんだかねえ、足でどしどし地面の上を踏みつけて、その上、用が済めば道端へ投げ棄てられてしまう草鞋なんぞを、どうしてまた、そんなにお前さんが有難がるんだかねえ」
「どうしてったって、お婆さん――わしゃ、草鞋様、草鞋様と蔭では拝んでいるんでございますよ。お婆さん、あの草鞋様がねえ、まだ稲の時分に、田の中においでなさる時分には、あの頭へ重たいお米の穂を載せて、長いあいだ辛抱をしていておくんなすったそのおかげで、あたしたちがお米を食べられるようになるのです。それからお米が実ってしまったあとでは、藁《わら》というものになって、そうして、打たれたり、叩かれたりして、またいろいろ人間のためになって下さる。俵というものになって、今まで守り育てて、蔭になり、日向《ひなた》になって成長させた自分の子供も同様なお米を大切に包んで守ります。生きている間には、骨となり、身となって育て上げた自分の子供同様のお米を、死んでからは、皮となって守るのがあの藁なんでございます。すべて天地の親様の慈悲というものが、すべてこれなんでございますね。それからまたやっぱり、打たれたり、叩かれたりして、ついにはこうして草鞋とまでなって、重たい人間の身体や、牛馬の身体までも載せて、旅をさせたり、働きをさせたりして下さる――草鞋様は有難い、勿体ない」
 与八は、ここまで言いかけると、大粒の涙をぽろぽろとこぼしてしまいました。
 同時に聞いていたお婆さんが、
「うーん」
と深く唸《うな》り出して、いきなり背中を流している与八の手を外《はず》して突立ってしまいました。

         八十七

 お婆さんが、不意に突立ち上ったものですから、与八が呆《あき》れていると、早くもお婆さんは与八の後ろへ廻ってしまい、
「お前さんのような人に流してもらっては罰《ばち》が当る、今度は、お前さんを、わたしが流して上げる」
と、むりやりにお婆さ
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