へ持って来て、念入りに備えつけました。その物々しさを見ると、主人も相当にたしなみがあるらしい。してみると、これは何かしかるべき茶器の類《たぐい》の珍物だな、それをさいぜん、話のきっかけで当りをつけ、拝見したい、お見せ申しましょう、ということにでもなっての結果らしい。それは見るだけだか、見ての上で相当の取引が持出されるのだか、もう取引済みになっているのか、それまではわからないが、ともかくも、色と言い、形と言い、蒼然たるさびのついた古代切入《こだいぎれい》りの箱物でありました。多分好きな道なのでしょう、こういった道中に於ても、伊太夫は、この品を、このままでは閑却しきれないと見えて、包みの結び目をといて、箱の蓋《ふた》を払うと共に、眼鏡をかけて燈火の下近くさし寄りましたのです。
四十三
それから伊太夫は、箱の中へ手を入れて、大事そうに取り出したものを見ると、それは古い瓦でありました。
その古瓦を一枚取り上げて吟味をはじめたところを見ると、伊太夫は相当、考古学に趣味を持っているらしい。無論、考古学というような一つの科学としてでなく、骨董癖《こっとうへき》の一種として、相当に古瓦の鑑力《めきき》を持っていると見なければなりません。
その古い瓦の中には、或いは相当完全なのもあり、破片に過ぎないのもあり、平瓦《ひらがわら》もあり、丸瓦《まるがわら》もあり、複弁蓮花文《ふくべんれんげもん》もあり、唐草蓮珠《からくされんじゅ》もあり、巴《ともえ》もある、宝相花文《ほうそうかもん》もある。たいした数ではないが、相当に伊太夫をたんのう[#「たんのう」に傍点]させるほどのものがあったと見えて、打返しての吟味方が、相当念入りであります。
一通り瓦を調べ終ってしまってから、次に箱を取って、打返し打返し見ました。瓦にも相当興味を持ったが、伊太夫の鑑賞力ではこの箱の方に、いっそう特殊の趣味を感じたからでありました。
それは古代の唐櫃《からびつ》といったものの形に相違ないが、底辺に楕円形の孔があいていて、そこから紐を通すようになっている。木地《きじ》はむろん檜《ひのき》に相違ないが、赤黒の漆を塗り、金銀か螺鈿《らでん》かなにかで象嵌《ぞうがん》をした形跡も充分である。蓋は被《かぶ》せ蓋《ぶた》で絵がある。捨て難い古代中の古代ものだ。さもあらばあれ、今度の旅の性質は、伊太夫としても、かりそめの骨董いじりなどをさせる旅路ではないはずなのですが、そこは好きな道で、是非なき体《てい》であります。
すでに熟覧し終ると、伊太夫はそれをもとのように包み直して、自分の枕許に置き、やがて寝ついたが、暫くすると、すやすやと寝息が聞えてきました。
静かな関ヶ原の一夜。
今宵は過ぐる夜のように、月を踏んで古関《こせき》のあとをたずねようとする風流人もなく、風流にしても、もう少し寒過ぎる時候になっているのですから、夜の静かになることは一層早いものがありました。
こうして夜が深くなった時分、伊太夫の座敷の床の間の髑髏《どくろ》が、ひとりでに動き出して来ました。本来は、髑髏が動き出したのではないのです。操細工《あやつりざいく》でなく、化け物でない限り、床の間の置物が、いくら夜更け人定まったからといって、ひとりで動き出すというようなことは、万あるべきことではないのです。それが、ひとりでに動き出したというのは、伊太夫の頭の中で動き出したのです。
「変な置物だ!」と、入室の瞬間から印象されたところのものが、夢に入って再現したまでのことでして、これは不思議でもなんでもないのです。問題の髑髏が三藐院《さんみゃくいん》の掛物の前で、ビクビクと震動すると見る間に、すっくと床の間いっぱいに立ち上りましたが、それは骸骨の上に衣冠束帯を着けて現われました。
しかし、それも夢としては、さのみ不自然ではありませんでした。三藐院の掛物のことが伊太夫の頭に在ってみると、それから連想して、骸骨が衣冠束帯をつけたということも、夜前の印象が、ごっちゃになって伊太夫の脳膜に襲いかかったというだけのものでしょう。夢というものも、他人に見てもらうものではなく、自分の頭で自分が見るものですから、自分の頭にないことが出て来るはずはない。伊太夫は伊太夫として、自分の見る程度だけの夢を見て、われと夢中に驚きもし、怖れもすることは、他の夢を見て暮す人間のいずれとも変りようはずがありません。
四十四
この一間では、お銀様も、あの晩に素晴しい夢を見せられたことは、「不破の関の巻」で書きました。お銀様のあの時の夢は、見ようとして見た夢でありました。見ようとして見た夢を、空想通りに見せられたのですから疑問はありませんが、いま伊太夫の見せられている夢は、全く自分も予期しないところの夢
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