話そのものもまた、月の光と同じく偶然の景物であって、二人は会談を為《な》さんがためにここにうらぶれて来たのではなく、何物をか求めんがためにうらぶれ来《きた》って、そうして偶然のゆかりで会談の緒《いとぐち》が切出されたまでのことですから、それが都合上、中断されようとも、継続されようとも、更に差支えはないのです。
 そうしているうちに、田山白雲がまず口を切りました、
「君、あそこの森蔭に、一点の火が見えるではないか」
「ええ、何か、鳴り物の音が聞えますな」
 二人の声は、ほとんど※[#「口+卒」、第3水準1−15−7]啄《そったく》同時のような調子でありました。
 白雲が、その一点の火というのを認めたのが早かったか、柳田が、風に伝うて来る有るかなきかの鳴り物の音というのを耳にとめたのが早かったか、それはわからないでしょう。一方の眼と、一方の耳との正確さをもって一応たしかめるために、二人は暫く息を凝《こら》しました。
「たしかです、先生、たしかに火影《ほかげ》が見えます」
 白雲が最初に認めた火の光がいったん明滅したらしいのを、柳田が再び確認し得たらしく保証すると共に、白雲が、
「なるほど、なるほど、風に流れてかすかに物の音が響いて来るよ」
 自分は眼に於て早く、柳田は耳に於て一歩を先んじていたらしい認識が、ここで両々相保証するの立場となりました。
「では、とりあえず、あれを目的《めあて》として少し急いでみようではないか」
と白雲がまず唱えて、柳田がそれに従いました。そこで少し二人は歩行《あゆみ》を早めて、火と音との遥かなる一角に向って歩み出しましたが、何をいうにも、白雲は大男であり、柳田は小男ですから、コンパスの相違が少々ある。
 白雲は柳田に調子を合わせてやるために、多少ともその歩調をおろさざるを得ませんでした。
 かくて行くうちに、ふと前に白い鏡のようなものの大きな展開を見ました。
「やあ、池ですか」
「沼だ――入江かも知れない」
 このまま進めば、必ずその沼に突入する。

         二十四

 白雲がまず眼を以て認め得たところのものも誤りなく、柳田が耳を以て捉《とら》え得たところのものにも間違いがなかったことは、二人が進み行くほどに、ようやく明確に証拠立てられました。
 突当りに沼があって、その向うに小高い岸があって、その一方に森があって、その森蔭から右の
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