う思って飛んで来て見るとな、人はいねえけれど、舟はある、大きな声をしてお前さんを呼んでみたが返事がねえ、暫く待っていてみたが、音沙汰《おとさた》がねえから、黙ってあの舟を借りちゃった」
「うむ、よしよし、それでよし」
 浪人は鷹揚《おうよう》に肯《うなず》いてのみいる。これで、米友の小舟の出所がわかったのみか、その持主の諒解をも得たことになる。そこで、彼は引返そうとすると、浪人が待てと言いました。
「まあ、君、少し待ち給え、一緒に帰ろう」
 一緒に帰ろうにも帰るまいにも、おいらもこの人の帰り先がわからねえが、この人もおいらの行く先を知っちゃあいまい。変なことだと思ったが、それでも米友は、そう言われると無下《むげ》に振切るわけにもゆかない。
 おもむろに釣道具を片づけている浪人の左右を見ると、蓆《むしろ》の上に何か黄表紙が四五冊、散乱している。

         百八十五

「君は、あの、なんだろう、このごろ、胆吹山の上平館《かみひらやかた》へ出来た組合の中にいる一人だろう」
と浪人から問いかけられて、米友が、少し眼をむいて、
「そうだ、それを、お前はどうして知っている」
「それはわかる」
「どうして、わかる」
「そりゃわかるよ、言語挙動で、この土地に居ついている人か、新来の人か、誰だってわかる」
「ふむ――」
 ここにもまた勘のいい奴が一人いる!
 この浪人とは、数日前、ここの岸で釣をしているところを、偶然立ち話をしたばっかりなのに、自分がいま胆吹王国にいることを先刻承知でいるらしい。それのみか、ああいったような事情やむを得ず、この小舟を無断借用した、それをもちゃあんと先刻心得ている。なにもかも心得ていながら、黙っている、なんとなく解《げ》せない浪人だ、という感じを米友がようやく深くしました。
 さて、右の浪人は、一切をとり纏《まと》めて立ち上ったが、その立ち上って二三歩あるき出した形を見て米友が、思わずまた頭をひねったのは、実は今まで、この人が座を構えて、釣を試みている形ばっかりを見ていたのだが、こうして歩き出したところを見ると、どうも、別に、たしかにどこかで立ち姿を見た覚えがある。たしかに覚えがあるが、今それがちょっと思い出せねえ。
 米友としては、この変な人がどこへ帰るのだか、それは一向にわからないが、どのみち、あとへ戻れば湖の中へ入ってしまうのだから、畢竟
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