のものが全然別のものであったり、別のものであらしめるように工夫を凝《こ》らしたものもある。少しややこしいが――桂小五郎の如きも、桂小五郎に似ざらしめまいとして、大いに苦心していたものである。その代り、六尺駕舁《ろくしゃくかごかき》の中に桂小五郎に似たものの風※[#「三を貫いて縦棒、第3水準1−14−6]を発見したり、乞食非人の姿のうちに野村三千三を発見したりすることもある。そこで、この壮士が坂本竜馬であるか、才谷梅太郎であるか、そんなことは詮索《せんさく》しないで置いて、便宜のために、これをこの場に限り坂本竜馬の名で呼んで相対せしめることにする。
 そこで、坂本竜馬は、四明ヶ岳の絶頂の巌の上の尖端に立って、京洛中を指して、何を言うかと見れば、
「今の京都は近藤勇の天下だよ、イサミの勢力が飛ぶ鳥を落している――会津よりも、長州よりも、薩摩よりも――豎子《じゅし》をして名を成さしめている、は、は、は」

         百六十二

 坂本竜馬がそう言ったことに対して、南条力が受答えました、
「壬生《みぶ》浪人、相変らず活躍しとりますかな」
「活躍どころか、今の京都は彼等の天下だ、敵ながら、なかなかやりおる」
 坂本は、京洛の秋を見おろしながら言う。
「芹沢《せりざわ》がやられたそうですな」
と、今度は五十嵐が言う。
「うむうむ、芹沢がやっつけられて、近藤が牛耳をとっている、新撰組は、いま完全に近藤のものだ、配下の命知らずを近藤が完全に統制し得ているから、たしかに由々しい勢力だよ。ことに勤王の連中にとっては全く苦手だ、幕府を怖れず、会津を侮り、彦根を軽蔑する志士豪傑も、近藤の新撰組にばかりは一目も二目も置いて怖がるから笑止千万だ。そのくらいだから、京洛中では、それイサミがくると言えば泣く児も黙る、ああなると近藤勇もまた時代の寵児《ちょうじ》だ。あれを見ると、衰えたりといえども幕府の旗本にはまだ相当人物がいることがわかる」
と坂本竜馬が、いささか関東方を讃めにかかりますと、南条力が首を左右に振り立てました。
「いや、違う――近藤勇は、徳川の旗本ではないよ」
「どうして」
 坂本竜馬がいぶかしげに南条力を見返りますと、
「勇は徳川の旗本じゃない」
「じゃア、譜代か」
「でもない」
「では、何だ」
と二人の問答の受け渡しがありました。
「あれは徳川にとっては、旗本でもなければ
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