えないからです
ですけれども
あの人は
イエスキリストを
信じています
働くことのほかには
聖書を読み
聖書を読むことのほかには
祈りを上げています
ごらんなさい
この帆柱の下で
いま金椎さんが
イエスキリストに
祈りを捧げています
[#ここで字下げ終わり]
この少年の眼が特にすぐれていて、夜の空で、肉眼では見難い星の数を苦もなく数えることは、以前に述べたことがある。
その眼で――今、暗い中空から燈火《あかり》のない甲板の上を見下ろすと、なるほど、そう言われてみるとその通り、一人の小さな人体が跪《ひざまず》いて、一心に凝固《こりかた》まっている形が、ありありと認められる。
よく見ると、それは例の支那少年の金椎でした。金椎は、いま茂太郎によって紹介された通り、この船の中の乗組の一人で、救われたる支那少年です。
茂太郎が帆柱の上でジンド・バッド・セーラを唄い出した時、或いはその以前から、ここに跪いて、こうして凝り固まっていたものに相違ない。
今、改めて、帆柱の上からこうしてけたたましく存在を紹介されても、更に動揺するのではありませんでした。ひざまずいて凝《こ》り固まっている形は、少しも崩れるのではありませんでした。
その時に、マストの上の茂太郎が、また前の姿勢に戻ってうたい出しました。
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留《とめ》の地蔵様
つんぼで盲目《めくら》
いくら拝んでも
ききゃしない!
[#ここで字下げ終わり]
せっかく紹介しても紹介し甲斐がない。宣伝を試みても宣伝甲斐がない。我等うたえども、彼踊らず、です――下の凝り固まりがいっこう動揺しないものですから、茂太郎はあきらめてこういうふうに開き直ったのですが、それとても、イエスキリストを祈っている人に対しての当てつけでもなければ、御利益《ごりやく》の少ない地蔵様に対する冒涜《ぼうとく》でもない。歌を詩に直し、詩を歌に直し、もしくは、韻文を散文に直す一つの技巧――平俗に言えばテレ隠し、むずかしく言えば、唐代に於て「詩」が「詞」となり、「填詞《てんし》」ともなり「倚声《いせい》」ともなるその変化の一つの作用と見てもよろしい。
檣上の小宣伝家は、相手が唖《おし》であり、聾《つんぼ》である――或いは聾であるが故に唖であり、唖であるが故に聾――どちらでもかまわないが、これは相手にはならないと見て、また開き直って、次な
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