七兵衛おやじは
容易には
この船へ
戻っては来まい
と思われる
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 こましゃくれた言い方ではあるが、その咽喉は澄みきっているから、聞きようによっては、詩を朗吟するように聞きなされて、静かに耳を傾けていると、決して悪感《あっかん》は起らない。
 だから、この船の内外でも、茂太郎の出鱈目《でたらめ》がはじまると、最初のうちは苦笑したものですが、今ではそれがはじまると、かえって自分たちが鳴りをひそめて、そのうたうだけを歌わせ、聞けるだけを聞いてやるという気になって、わざと静まり返るようにもなっている。そこで、このごろでは、茂太郎は、その壇場を何人にも乱されることなく、ほしいままに占有することを許された形になっている。
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マドロス君のような
だらしない奴でも
また憎めないところがある
戻って来れば
私は悪い気持がしない
七兵衛おやじが
当分戻れないと
考えると悲しい
悲しいのは
そればかりじゃない
たずねて
わからない人が
幾人もある
逢いたいと
思うけれども
逢えない人が
この世に
幾人もある!
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 こう言って、茂太郎は、行住坐臥の間に、常にその小脇にかいこんでいる般若《はんにゃ》の面を、ちょっとゆすぶりました。
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わたしは
弁信さんに逢いたい
わが親愛なる
盲法師《めくらほうし》の
お喋《しゃべ》り坊主の
弁信よ
甲州の上野原で
別れてから
海山はるかに
行方がわからない
弁信さん
お前は今
どこにいるんだい
逢いたいなあ
弁信さん
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 朗徹なる童声のうちに、ここで幾分かの感傷が加わりましたが、やがて、調子がうつって、在来の俗謡になりました。
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九つやあ
ここで逢わなきゃ
どこで逢う
極楽浄土のまんなかで……
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         百四十

 最初の、ジンド・バッド・セーラは単に音頭でありました。なかごろのは演説の変形した散文詩でありました。最後に至って、節調を全うした俗謡のうちの数え唄になったのです。
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九つやあ
ここで逢わなきゃ
どこで逢う
極楽浄土のまんなかで……
[#ここで字下げ終わり]
 これは、俗調ではあるけれども、音節が出来上っている。それを明朗にうたい出したのですが、そ
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