ではないのだ。現に百姓共が、安穏《あんのん》に百姓をしていられるのも、この徳川の武力あればこそではないか。強い武力がなければ、国は取られ、田は荒され、百姓は稼《かせ》ぐところを失うどころか、稼ぐべき田地をさえ持つことはできない。
だから、百姓は百姓として、分を知って服従していさえすればいいのに、ややもすれば反抗したがる。表面服従して、少し目をはなせば一揆《いっき》を起したがるのが百姓だ――ことに近来は、一揆の無頼漢の音頭を取るものを称して「義民」だのなんのと祭り上げる輩《やから》が多いから、百姓がいよいよ増長する。そもそも、百姓をかく増長せしめた近来での大親玉は、水戸の光圀《みつくに》だ――
百八
神尾主膳の頭の中にまたしても、真黒い雲がうず巻いて来ました。
そもそも、この徳川の宗家にとって害物であるところのものは、水戸以上のものはない。
水戸は徳川の一家でありながら、最初から徳川の根を枯らすことばかりやっている。そうして大向うからは人気を取っている。
神尾主膳が水戸を毛嫌いをしていることは、今に始まったことではないのです。
何か機会があると、まず光圀を槍玉に挙げる。あの光圀を天下の名君の如く騒ぐ奴の気が知れない。あれは謀叛人《むほんにん》だ、徳川にとって獅子身中の虫なのだ。あれは最初から宗家に平らかならざることがあって、池田光政あたりと通謀して、天下を乗取ろうとした腹黒い奴である。大日本史を編んだり、楠公《なんこう》の碑をたてたり、また、いやに農民におべっかをつかって、下に親しむように見せかけるのが水戸の家風だ。その実、家中は党を立てて血で血を洗っている。あの斉昭《なりあき》の行状を見るがいい、烈公が何だ――その血筋を引く一橋が本丸に乗込んだ。思い通り天下を乗取って水戸万歳のようなものだが、いまに見ていろ、徳川を売るのは水戸だ――
神尾は、やみくもにこういうふうに邪推して、水戸を憎がっている。しかし、この男としては公然とそれを唱えて、同志を作って、その売られんとする宗家のために戦うというような気概があるわけではない。ただ、むしゃくしゃと、そう感憤激昂して、水戸を毛嫌いしている――
こういうむしゃくしゃ腹で、薬王寺前あたりへ来た時に、どんと無遠慮に神尾の前半にぶつかったものがありました。
それは、わざとぶつかったものではない、
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