「だれ」に傍点]癖のついた土地柄は、金次郎様の力でも一朝一夕に直すというわけにはゆきませんでなあ、いや、血を吐くように御苦労をなされたものなのだ。土地の人の惰弱だけならまあいいが、よけいな奴が出しゃばって来て、つまらない改革をするといって、わざと金次郎様の命令に反《そむ》いたり、その事業の邪魔をしたりな、それはたいへんなものでござったので、金次郎様もどのくらい苦労なされたか知れたものではない。そのうちにある時のこと――金次郎様が村を通りかかりますと、一人のお婆さんがあってね、それが、外に出ていた草鞋《わらじ》を取り上げて、ていねいに、ちょうどお前さんがしたように、押しいただいて内へしまったのを、金次郎様がごらんなさいましてね」

         八十八

「お婆さんが草鞋を押しいただいて内へしまいこんだのを、金次郎様がごらんになってな、はて珍しい、奇特なことだと、そのお婆さんに問いただしてみると、そのお婆さんは、日頃からちゃんと鳩ヶ谷の三志様の教えをお聞き申している――ということがわかって、金次郎様がなるほどと感心をなさって、そういうわけならばわしもひとつ三志様にお頼みをしようと、それから金次郎様が三志様をお招きになって、村人に説教をしてお聞かせ下さる、村人が追々に金次郎様の御誠心と、三志様の御説教がわかってきて、桜町の復興のことも立派に成就《じょうじゅ》いたしました。それは、一つには金次郎様のお力、一つには三志様のお力でございました」
 与八の頭は、特にそういう話をよく受入れるように出来ている。曾《かつ》て武州|登戸《のぼりと》の丸山教の教祖様に似ていると感心させられたこともあり、木喰五行上人《もくじきごぎょうしょうにん》と比べられたこともありましたが、ここでは、鳩ヶ谷の三志様という人と比べられているのであります。
 しかしお婆さんは、最初のうちは、与八の人相の引合いとして三志様なるものを持ち出したのですが、今は、与八の人相はそっちのけになって、鳩ヶ谷の三志様の鑽仰《さんぎょう》で持切りになってしまいました。
「三志様は京都へおいでると、必ず御所の御門のところへ行って跪《ひざまず》いて、天子様の万歳をお祝い申し上げる、それから下野《しもつけ》の日光山にまいりますと、権現様の前へ跪いて天下の泰平をお祝い申し上げるのです。それがもう、一度や二度のことじゃございません
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