そこでそれ以上の註文は出せないらしい。
 見物の中には、わき見をしていたために、この男が長い剣を抜いた抜きっぷりを見なかったのみならず、中身はもちろん、それを鞘に納めたのまで見損ったものもありました。まだ抜かないのだな、まだ抜いて見せないのだな、これからが勝負だとばかり思っているうちに、市《いち》が栄えてしまったという次第です。
 それですべてが落着して、さしもやかましかった川破りも、刀調べの結果も、何のお構いも、お咎《とが》めもないということになると、柳田平治は肩で風を切って、さっさと前途に向って出立してしまいました。前途というのは、仙台方面へ向けて、つまり江戸へ行くという目的の方向なのであります。

         九

 呆気《あっけ》にとられた多数と共に、その後ろ姿を見送っている田山白雲は、その去り行く柳田平治の恰好《かっこう》を、おかしいものだと思わずにはおられません。
 長剣短身は変らないが、その歩きっぷりというのが、さいぜん河原の中で見た挙動とは、また打って変った趣きがある。
 それは小男としては大股に歩くのですが、足には太い鼻緒の高下駄で、そうして肩で風を切るというけれども、その風の切りっぷりが鮮か過ぎるので、少々身をうつむきかげんにして、右の肩が先に出る時には、それと共に右の足が著しく進出して、後ろの肩が思い切って後退する。左の肩が出る時は、左の足がそれに準じて大股になると共に、右の肩が思い切って後ろへ開かれる。その早足の調子と相待って、ぎくしゃくとした形、どうしてもおかしからざるを得ないのです。
 けれども、その渡頭《わたしば》に呆然《ぼうぜん》として群がっている者が誰ひとり、笑って見送るものはありませんでした。どうもこれだけでは、笑って済まされない何かが残されてあるような気勢がしているからです。
 さて役人の方は、これだけの査問が終ると、少々テレ気味で引揚げ、以前の早舟に飛び乗ると、さっさと舟を向う岸へ戻させてしまいました。その最後に当って、通常の旅客を満載した定期の渡し船が、向うの岸からこちらの岸へ到着しました。
 それと入り代りに、こちらに待兼ねた士農工商が、いま到着した渡し船に、普通ならば我先に乗込むのですが、今日は二の足を踏む者が多いのです。
 それというのは、向うから着いた旅客に向って、この際、向う岸の動静を聞いて置きたいという心持
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