》と、唐獅子《からじし》が描かれているのであります。
 お銀様は、特に注意して覆面の中からこれを見つめて、立去ることを忘れるほど一心でありましたが、壁画の下の床《ゆか》の板の上を見ると、不快な思いを如何《いかん》ともすることができないらしくあります。左様に時代のついた金碧さんらんたる壁画の下の床板が、鼠の巣になっていることを認めると、お銀様がいやな面《かお》をしました。鼠の巣といっても、現にそこに鼠が巣をくって、子をはぐくんでいるというわけではありませんが、その床の上に古い帳簿だの、ぼろぎれだの、足のもげた小机だのというものが、ゴミ捨場のようにつくね散らされていることでありました。
 それを見ると、お銀様は眉をひそめずにはおられませんでした。たぶん、胸の中ではこんなに考えていたことでしょう、
「何という無作法なことをする人たちでしょう、悪意あってしているわけではない、この画に対する認識が乏しいばっかりにしていることだが、こうして置くうちに、ようやく粗末から廃滅になってはたまらない、早く何とかしないと、あったらこの名画の保護が手遅れになる」
 こう思いやりをしてみたようでしたが、さりとて、進んで寺僧に向って忠告――というまでにもならないで、ひとりひそかに残念がっているのは、その鼠の巣を嫌がるというよりも、この壁の画を惜しむことであります。
 お銀様は、それでもなお飽かず、滝と、牡丹と、唐獅子を、縦から横から見直しました。それから向って右の小襖《こぶすま》に唐美人の絵がある。出入口襖の桐に鳳凰《ほうおう》――左の出入口は菊に孔雀《くじゃく》の襖――いずれも金地極彩色なのと、その金具に五三崩しの桐紋がちりばめてあることまで丹念に見てしまったが、なお中央の滝と牡丹と唐獅子の大壁画を見直し、見返すことを忘れませんでした。その大壁画の雄渾《ゆうこん》にして堅牢なる、斧を打ち込んでも裂けない筆格を見ていると、またどうしてもその下に堆《うずたか》い鼠の巣に、いやな思いをせずにはいられないのです。
「この置きちらかしを、何とか始末をすればよいのに」
 その不快の思いを繰返しているところへ、どかどかと寺役が二三人、また無造作《むぞうさ》にやって来ました。それは、手に手に一抱えのものを持って、ある距離を取って壁画を眺めているお銀様の前を横切ると共に、あろうことか、今も不快の種となっていた
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