髏が果して、大谷刑部少輔の名残《なご》りの品であったか、なかったか、そんな詮索は無用として、お銀様は心ゆくばかりその髑髏を愛しました。面目《めんもく》が崩れ、爛《ただ》れ、流れて、蛆《うじ》の湧いている顔面がお銀様は好きなのでした。大谷刑部少輔の顔面としてではなく、自分の顔面としての醜悪は、無上の美なりとして憧れていたのですが、その時の髑髏は米友によって洗われ、弁信によって火の供養を受けて、立派に成仏しているはずですから、またもここへ迷うて出て、父の伊太夫を悩まさねばならぬ筋合いは全くないのであります。

         四十五

 果して、伊太夫の見た夢は、お銀様の見た夢ではありませんでした。衣冠束帯に変装した床上の髑髏が、いつの間にか、またもとの一塊の白骨となって、床上に安んじているのを見ると、夢は夢でありながら、伊太夫もなんだか、ばかにされたような気になって、これはそもそも、この三藐院が曲者《くせもの》だなと思いました。
 三藐院の掛物が最初から頭にあるので、それで、つい衣冠束帯のお化けが出て来たのだ。いったい、この座敷へ通されてから、これは三藐院だなと認識はしたが、その三藐院が何を書いていたのだか、そのことには、あんまり注意しなかったのです。しかし、今となって、こいつ、なかなか曲者だと考えたものですから、ひとつ読んでみてやれという気になりました。
 無論、それは三藐院のことだから、書いてあるのは和歌に相違ないとは思うが、この和歌が、古歌であるか、或いは三藐院自らの作になるものであるか。
 伊太夫は、そういう心持で特にこの掛物の文字の解読にとりかかってみると、
[#ここから2字下げ]
置くは露
 誰を食はうと鳴く烏
[#ここで字下げ終わり]
と二行に認《したた》められてあったので、ひどく頭をひねらざるを得ませんでした。
 これは和歌ではない、発句だ。三藐院とある以上は、誰が考えても和歌でなければならないはずなのに、こう読みきったところでは、発句であるほかの何物でもない。
 三藐院が、書画ともに堪能《たんのう》であられたことは知っているが、発句を作られたことは曾《かつ》て聞かない。また三藐院が発句を作られる道理もないと思う。連歌の片われかと思えばそうではない、立派に独立した発句になっている。と同時に伊太夫は、この発句が、たしかに誰かの句であったということの記憶
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