太夫としても、かりそめの骨董いじりなどをさせる旅路ではないはずなのですが、そこは好きな道で、是非なき体《てい》であります。
すでに熟覧し終ると、伊太夫はそれをもとのように包み直して、自分の枕許に置き、やがて寝ついたが、暫くすると、すやすやと寝息が聞えてきました。
静かな関ヶ原の一夜。
今宵は過ぐる夜のように、月を踏んで古関《こせき》のあとをたずねようとする風流人もなく、風流にしても、もう少し寒過ぎる時候になっているのですから、夜の静かになることは一層早いものがありました。
こうして夜が深くなった時分、伊太夫の座敷の床の間の髑髏《どくろ》が、ひとりでに動き出して来ました。本来は、髑髏が動き出したのではないのです。操細工《あやつりざいく》でなく、化け物でない限り、床の間の置物が、いくら夜更け人定まったからといって、ひとりで動き出すというようなことは、万あるべきことではないのです。それが、ひとりでに動き出したというのは、伊太夫の頭の中で動き出したのです。
「変な置物だ!」と、入室の瞬間から印象されたところのものが、夢に入って再現したまでのことでして、これは不思議でもなんでもないのです。問題の髑髏が三藐院《さんみゃくいん》の掛物の前で、ビクビクと震動すると見る間に、すっくと床の間いっぱいに立ち上りましたが、それは骸骨の上に衣冠束帯を着けて現われました。
しかし、それも夢としては、さのみ不自然ではありませんでした。三藐院の掛物のことが伊太夫の頭に在ってみると、それから連想して、骸骨が衣冠束帯をつけたということも、夜前の印象が、ごっちゃになって伊太夫の脳膜に襲いかかったというだけのものでしょう。夢というものも、他人に見てもらうものではなく、自分の頭で自分が見るものですから、自分の頭にないことが出て来るはずはない。伊太夫は伊太夫として、自分の見る程度だけの夢を見て、われと夢中に驚きもし、怖れもすることは、他の夢を見て暮す人間のいずれとも変りようはずがありません。
四十四
この一間では、お銀様も、あの晩に素晴しい夢を見せられたことは、「不破の関の巻」で書きました。お銀様のあの時の夢は、見ようとして見た夢でありました。見ようとして見た夢を、空想通りに見せられたのですから疑問はありませんが、いま伊太夫の見せられている夢は、全く自分も予期しないところの夢
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