暇もなく、おいらはこうして追いかけて来たんだが――なんにしてもこっちに責任のある馬には馬なんだから、詫びろと言えば詫びらあな、あやまれと言えばあやまってやらあ――それをお前、何もこっちに一言も言わさねえで、両岸から挟みうちにして竹槍で突っつき殺そうたあ酷過《ひどす》ぎる!
タカが一頭の馬の畜生のことじゃねえか――まるで、これじゃ戦《いくさ》だ――まさかこの馬が千両からの金を積んでいることを知っていて、それを取りてえから、ああして人数を集めたわけじゃあるめえ。そうだとすれば、村中が心を合せて切取り強盗を商売にしているようなわけのものだが、今時そういう商売の村というのはあるめえ。第一、この馬が千両からの銭金《ぜにかね》をつけているかいねえか、それまで見きわめちゃいめえがな。
おやおや、来るよ来るよ、本当にやって来るぜ、あの通り若い奴が、竹槍を持って、こっちの岸からも御同様。さあ、もう仕方がねえ、こうなったからはこっちも了見をしなくちゃならねえ。
米友は川原の真中でじだんだ[#「じだんだ」に傍点]を踏みました。同時に、両方の岸から、すさまじい鬨《とき》の声が起りました。
竹槍をしごいた両岸の先陣五六名ずつが、その声に煽《あお》られて、奔馬《ほんば》のような勢いで、米友をめがけて――事実、米友としては、そう見るよりほかに見ようがない――両方から殺到し来《きた》るのです。
こうなると米友は、もはや、じだんだ[#「じだんだ」に傍点]だけでは許されない。
もういやです。米友としてもこんなところでまたしても武勇伝は現わしたくはないのですが、実際、身に降りかかる火の粉は払わなければならない。払って置いて相当の弁明が聞かれなければ、もうそれまで――そういう覚悟をきめることには未練のない男です。
そこで、足場を見計らってお手のものの杖槍を二三度、素振《すぶ》りをしてみてからに、懐中へ手を入れると、久しく試みなかった菱《ひし》の実のような穂先を取り出して、しっかとその先を食いこませたものです。
その時また、わあっ! と両岸で山の崩れるような鬨の声。
三
全く理不尽千万な、乱暴至極な、前後から一応の弁明もさせずに、竹槍の槍ぶすまを作って、米友一人と、駄馬一頭とをめがけて襲い来《きた》る暴挙。これは甲州街道の雲助でさえもあえてしなかったところの兇暴です。しかし、事ここに至っては、いかにことを好まない米友であるにしてからが、勢い決死的に応戦の覚悟をきめること以外には、正当防衛の手段は無いのです。
躍《おど》り立った米友は、その応戦の準備をしている途端に、なんだか急に、風向きが変って、予想の当てが外《はず》れたようにも受取れる――それは、自分と馬とにばっかり向って来るものと思いきっていた両岸の竹槍の槍ぶすまが、決して引返したというわけではないが、ある地点へ来ると、明らかにその槍先の当てが違っている、向きがそれているということを米友が認めました。
当てが違っており、向きがそれているとしてからが、河原を真中にして、川原の両岸の土手から同じように進んで来ることは少しも変化はないのですが、その槍先が――つまり、米友と駄馬との焦点に向ってのみ集中し来《きた》るものとばっかり信じていたのが、途中にして、そうでなかったということが明らかにわかったのです。
ある地点で、米友の的《まと》を外してしまったそれからは、中に何も置かず、川と川原だけで、そうして、両岸の竹槍と竹槍とが、対陣の形によって、おのおの両方から取詰めて行っていることを米友が明らかに認めました。
「なあーんだ」
と、それを知った瞬間に、米友が思わず力負けがして息を抜いたのは、べつだん事柄を軽んじたわけでもなければ、案外なばかばかしさから、噛《か》んで吐き出したというわけでもない。
つまり、この火の粉は、自分の身にのみ降りかかるものと信じきって構えていたのが、実はわが身に降りかかるのではない、ということを知って、個人的に一安心したということに止まり、事件そのものの性質の危険性が、それで解消したというわけでは決してないことを認めると共に、一旦「なあーんだ」と言って、ばかばかしそうに力を抜いた米友が、再び別な用心を以て構えを立て直さないわけにはゆかなかったのです。それというのは、被《かぶ》る人が誰であろうとも、火の粉は火の粉です。火の粉が自分の身の上へ落ちて来るのじゃなかった、ということを認めて安心したのはいいが、それが人の身の上なら落ちかかって来てもいい、という理窟にはならないのです。
充分の危険性あるものは、危険性あるものとしてなお存在し、それが自分の頭を外れたとは言いながら、他人の頭へなら落ちてもかまわない、という論法にはならないのであります。
両岸の竹槍の槍
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