、ギリギリの返答が聞きたい」
「どっちが聞きたいんだ」
 仏頂寺と丸山は、ここで面を見合わせたが、笑いもしませんでした。
「丸山――」
「何だ」
「おたがいは亡者だな」
「まあ、そんなものだろう」
「宙宇《ちゅうう》に迷ってるんだ」
「まあ、そんなものだ」
「天へも上れず」
「地へも潜《くぐ》れず、かな」
「東の方《かた》、江戸表も鬼門」
「西の方、長州路は暗剣」
「のめのめと故郷へは帰れず」
「そうかと言って、また来た道を引返すのはうんざりする」
「所詮《しょせん》……」
「考えてみると……」
「我々は、どこへ行こうと言って思案するよりは……」
「何の目的で、こうして旅をして歩かねばならないのか」
「それよりはいっそ――何故に我々は生きていなけりゃならねえのか、そいつが先だ」
「むずかしいことになってしまったぞ!」
「考えてみろ、おれも、貴様も、何のために生きているのだ」
「そいつは困る」
「困るたって、それを解決しなければ、永久にこうして亡者として、八方塞がりの籠の中を、うろうろ彷徨《うろつ》いて、無意味に行きつ戻りつしていなけりゃならん」
「なにぶんやむを得んじゃないか」
「ところが、今やそのやむを得ざることが、得られなくなってしまった――おれはもう、こうして旅から旅の亡者歩きに大抵|倦《あ》きてしまったよ」
「だって、やむを得んじゃないか、君ほどの腕を持っていながら、この手腕家を要する非常時代に、いっこう用うるところがない、拙者ときた日には、君ほどの腕のないことは勿論《もちろん》だが、儒者となるには学問が足りない、医者となるべく術が不足している、英学をかじったが物にならず、仕官をするにはものぐさい、日雇に雇われるには見識があり過ぎる――亡者としてうろつくよりほかには道がないじゃないか」
「その亡者として生きる道がもう、つくづくおれはいやになったのだ」
「では、どうすればいいんだ」
「考えてみろ」
「考えろったって、この上に考えようはありゃせん」
「斎藤篤信斎は、剣術を使わんがために生きている」
「うむ」
「高杉晋作は、尊王攘夷のために生きている」
「うむ」
「徳川慶喜は、傾きかけた徳川幕府の屋台骨のために生きなけりゃならん」
「うむ」
「西郷吉之助は、薩摩に天下を取らせんがために生きている」
「うむ」
「小栗上野《おぐりこうずけ》は、幕府の主戦組のために生きている」
「うむ」
「勝麟《かつりん》は、勤王と倒幕の才取《さいとり》のために生きている」
「うむ」
「岩倉|具視《ともみ》は、薩長を利用して、薩長に利用せられざらんがために生きている」
「うむ」
「土佐の山内や、肥前の鍋島は、薩長だけに旨《うま》い汁を吸わせてはならないために生きている」
「うむ」
「会津、桑名は、徳川宗家擁護のために生きなけりゃならん」
「うむ」
「さて、それから宇津木兵馬は――」
「は、は、は、少し、人物のレヴェルが変ってきたな」
「宇津木兵馬は、兄の仇を討たんがために生きている」
「うむ」
「お銀様という女は、父に反抗せんがために生きている」
「うむ」
「机竜之助は、無明《むみょう》の中に生きているのだ――ところで、仏頂寺弥助と、丸山勇仙は、何のために生きているのだ」
 こう言って、仏頂寺弥助のカラカラと笑った声が、またもすさまじく、森閑たる小鳥峠の上にこだましました。
「松茸の土瓶蒸を食わんがために生きている、あッ、は、は、は」
と合わせた丸山勇仙の声も、決して朗かな声ではありませんでした。

         十五

 その後、かなり長いあいだ沈黙が続いたが――仏頂寺はそれでも酒をやめるのではなく、苦り切って一杯一杯と重ねている。
 大いに浮れを発するつもりの丸山勇仙までが、いつのまにか引入れられて湿っぽくなる。強《し》いて気を引立てようとするが、どうしても引立たないらしい。
「仏頂寺――」
「何だ」
「いやにしめっぽくなったな」
「そのくせ、天地はこの通り上天気だ」
「ところは長閑《のどか》な小鳥峠の上で――」
「丸山、おりゃどうでも死にたくなってしまった」
「は、は、は」
 この時、丸山勇仙が強《し》いて笑い崩そうとしたが、いっそう重苦しい。
「死にたくなった」
「は、は、は、は」
 死ぬのがいいとも言えず、悪いとも言えない、丸山勇仙は、ただ強いて重苦しく笑うだけであった。笑いも、こうなるとうめきよりも渋濁である。
「死にてえ、死にてえ」
と、仏頂寺弥助が捲舌《まきじた》をつかい出す。
「くたばりゃがれ!」
と、丸山勇仙が悪態《あくたい》をつき出す。
「そうれ」
と仏頂寺が、最後の一杯、いな、一滴と見えるのを、深く腸《はらわた》の底まで送り込んで、その盃を勇仙めがけて投げつける。勇仙がそれを受けて、手酌で一杯ひっかけようとしたが、もう
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