ている」
「うむ」
「勝麟《かつりん》は、勤王と倒幕の才取《さいとり》のために生きている」
「うむ」
「岩倉|具視《ともみ》は、薩長を利用して、薩長に利用せられざらんがために生きている」
「うむ」
「土佐の山内や、肥前の鍋島は、薩長だけに旨《うま》い汁を吸わせてはならないために生きている」
「うむ」
「会津、桑名は、徳川宗家擁護のために生きなけりゃならん」
「うむ」
「さて、それから宇津木兵馬は――」
「は、は、は、少し、人物のレヴェルが変ってきたな」
「宇津木兵馬は、兄の仇を討たんがために生きている」
「うむ」
「お銀様という女は、父に反抗せんがために生きている」
「うむ」
「机竜之助は、無明《むみょう》の中に生きているのだ――ところで、仏頂寺弥助と、丸山勇仙は、何のために生きているのだ」
こう言って、仏頂寺弥助のカラカラと笑った声が、またもすさまじく、森閑たる小鳥峠の上にこだましました。
「松茸の土瓶蒸を食わんがために生きている、あッ、は、は、は」
と合わせた丸山勇仙の声も、決して朗かな声ではありませんでした。
十五
その後、かなり長いあいだ沈黙が続いたが――仏頂寺はそれでも酒をやめるのではなく、苦り切って一杯一杯と重ねている。
大いに浮れを発するつもりの丸山勇仙までが、いつのまにか引入れられて湿っぽくなる。強《し》いて気を引立てようとするが、どうしても引立たないらしい。
「仏頂寺――」
「何だ」
「いやにしめっぽくなったな」
「そのくせ、天地はこの通り上天気だ」
「ところは長閑《のどか》な小鳥峠の上で――」
「丸山、おりゃどうでも死にたくなってしまった」
「は、は、は」
この時、丸山勇仙が強《し》いて笑い崩そうとしたが、いっそう重苦しい。
「死にたくなった」
「は、は、は、は」
死ぬのがいいとも言えず、悪いとも言えない、丸山勇仙は、ただ強いて重苦しく笑うだけであった。笑いも、こうなるとうめきよりも渋濁である。
「死にてえ、死にてえ」
と、仏頂寺弥助が捲舌《まきじた》をつかい出す。
「くたばりゃがれ!」
と、丸山勇仙が悪態《あくたい》をつき出す。
「そうれ」
と仏頂寺が、最後の一杯、いな、一滴と見えるのを、深く腸《はらわた》の底まで送り込んで、その盃を勇仙めがけて投げつける。勇仙がそれを受けて、手酌で一杯ひっかけようとしたが、もう
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