かない野郎でありました。
しかし、こうなっては、お蘭どのももう遅いのです。いけ好いても、いけ好かなくても、こいつに見込まれた以上は、女に下地がある限り、のがれっこはなし――一時は野暮《やぼ》に叫びを立てようとしたが、どっこい、その口を塞がれてしまってみると、有無《うむ》を言わされようはずはないのに、お蘭どのという女が、本来あんまり有無を言わない女なんだから、口をこじあけて、大福餅を抛《ほう》りこんで無理矢理に食べさせられてしまってみると、今度は、もう一つ食いたいと口をあく奴なんだから、事がそこに及んだ後はたあいないものです。
「どうです、お蘭さん、男はケチな野郎でも、こうなってみると、まんざら憎くもござんすめえ。ことにお蘭さん、お前さんを見そめたのも、昨日や今日のことじゃありませんぜ、飛騨の高山では、命を的に大奥まで乗込みの、あぶない綱渡りも致しましたのを、よもお忘れじゃあござんすめえ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百からこう脂下《やにさが》られて、お蘭どのが今更のように、
「おや、お前さんという人は、高山のことまで知っているの?」
「知らなくってどうなるもんですか。あのいつぞやの晩でげした、新お代官の奴は新お代官で、どこからか手入らずの新しいのをつれ込んで、たんまりはんべらせようとなさるし、お前さんはお前さんで、前髪立ちの若い男かなにかに持ちかけるというのを、見たり聞かされたりした、こっちもだま[#「だま」に傍点]っちゃいられませんね、名代《なだい》の新お代官のしろもの、お蘭さんてえこってり者に一目お目にかかって置きてえ、それ、あの晩忍び込んだはいいが、いやはや、飛んでもない戸惑い、人違え、当ての外れた相手がそれに思いの外の腕利きで、すんでのことに危ねえところ――それほどまでに思いこんだ、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百てえ野郎が、わっちなんでげす。心意気を聞いてみりゃあ、なおさら憎くもござんすめえ」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]に脂下《やにさが》られ、お蘭どの、眼尻が上ったり下ったりして、
「あの時の悪者はお前さんだったのかえ――それとは知らなかったよ」
「悪者じゃございませんよ、この通り、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百といって、ちっとは鳴らしたいい男の兄さんでげすよ」
「いやな奴」
「いやな奴で、大きにお気の毒さま。でもまあ、口でけな
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