調べたことによって、お銀様はとりあえず、「鴉黄」というのは、唐の時代に於て、支那の風流婦女子によって盛んに行われたお化粧のうちの一つで、額の上に黄色い粉を塗って飾りとしたその習わしであることを知ってみると、「繊々たる初月」というのも自然の夕空の新月のことではなくして、その黄粉を粧うた美人の額の上に描かれた眉の形容であることを知るに及んで、漫然たる最初の想像が全く覆《くつがえ》されたのです。
ちょっとしたことでも、物は調べてみなければならない、学問上のことについては、独断であってはならないという自覚を、お銀様がその時に呼び起されてみると、同時に、ただあの詩の中の右の一句だけでなく、あの長詩全体に亘《わた》っての意味を味わわなければならないと、自家蔵本の渉猟にとりかかりました。
その結果が、お銀様を「長安古意」のたんのう者としたのみでなく、その作者であるところの盧照鄰という古《いにし》えの薄倖なる詩人に対して、同情と哀悼《あいとう》の心をさえ起さしめたのであります。
お銀様の頭には、今、この「長安古意」が蒸し返されて、あのとき受けた強い印象が、つい目の前に蘇《よみがえ》り迫って来るもののようです。
お銀様は、ただもう、その古詩を思い出すことによって、感情が昂《たか》ぶってきましたが、足許は焦《あせ》らずに、胆吹の裾野の夕暮を、じっくりと歩んでいるのです。
その時、不意に右手の松林の間から、叱々《しっしっ》と声がして、のそりと、一つの動物が現われ出しました。見ればそれは巨大なる一頭の牛が、後ろから童子に追われて、ここへ悠然と姿を現わしたものですが、牛は牛に違いないが、その皮の色が真青であることが、いとど驚惑の感を与えずには置きません。
それが行手に、のそりと現われたものですから、お銀様も少しくたじろぎました。しかし相手は牛のことであり、不意に現われたとはいえ、牛飼がちゃんと附いて、この温厚な動物を御《ぎょ》しているのだから、寸毫《すんごう》といえども恐怖の感などを人に与えるものではありませんでした。
「奥様、こんにちは」
牛飼の少年は、質朴に、そうしてさかしげにお銀様に向って頭を下げて通り過ぎようとしました。
「奥様」といったのは故意か偶然か知らないけれども、昨今ではあるが、みんな自分の周囲の出入りの者、見知り越しの土地の人などが自分を呼ぶのに、この「奥様」
前へ
次へ
全220ページ中164ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング