めらしく構え出してお雪ちゃんに答えました。
「そりゃ、人間、生れて来た方がいいのか、生れねえ方が勝ちか、そのことはわからねえね。そのことはわからねえけれど、生れ出て、こうしてピンピンしている以上、どうも仕方が無えじゃねえか――ここでまあ、仮りにわしが、お雪ちゃんを憎いと言ったところで、殺すわけにゃいかず、可愛ゆいと言うたところで、茹《ゆ》でて食うわけにゃいかず」
また、おかしくなりました。可愛ゆいからといって、茹でて食わねばならぬ論理と実際とはないのです。要するに出鱈目《でたらめ》です。
「先生、そのことじゃありません、わたしたちがこうして生きているのを、どうのこうのというわけじゃありません、これから生きようとするもの、これから生かそうとするものに就いて先生の御意見が伺《うかが》いたいのでございます」
「なに、これから生きようとするもの、これから生かそうとするもの、そんなものがこの世にあるか知ら、この一枚看板の一張羅《いっちょうら》、生かそうと殺そうと、質屋の番頭の腕次第……」
また妙な緞帳臭《どんちょうくさ》いセリフがはじまったが、お雪ちゃんは存外それに引きずられませんでした。
「つまり、なんでございますね、これからこの世の光を見せようという親の立場になり、これからこの世の苦労を味わわされようとする子というものの立場になってみてでございますね」
「ふん、なるほど、してみるてえと、母の胎内にある子のために、また、その胎内に子を持つ母のためにってなことになるのかね」
「まあ、そうでございますね、最初に申し上げたでしょう、子を産むことは必ず目出たいこととされていますけれども――そういう場合に、本当の意味では、生れるが目出たいか、産むのが目出たくないか――というような理窟になりますか知ら」
「じゃ、かりに目出たくないとするとどうだね」
「なら、いっそ、親として産まないのが善いことであり、子として生れないのが善いことじゃないでしょうか」
「はてな」
道庵は仔細らしく小首を傾《かし》げて、
「はて、お雪ちゃん、お前さんの質問が、深刻なようで上辷《うわすべ》りがし、上辷りがしているようで存外深刻でもあり、ちょっと、迷わされるがね、早い話が、結局こういうことになるんじゃねえか、どうも、そうなりそうだよ、つまり、お雪ちゃんの今の質問は論じつめると、子供が母の胎内にあるうちに、
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