生涯の一大事なんだ。お雪ちゃん、お前なんぞは、まだその戦陣に臨んだことはあるめえが――嫁入前にそういうことはねえのがあたりまえなんだが、今時の小娘と小袋とは油断がならねえから、或いはお雪ちゃんに於ても、もう或いは時機に於て、すでに処女を離れているかどうか、そのことはわからねえんだが……」
「先生、いやでございます、そんなことをおっしゃっては」
「は、は、は、どうも淑女の前でそういうことを言うのは、本来ならば礼儀に欠けているんだが、こっちは医者ですからな、職業的、科学的に言うんだから、遠慮なくお聞きなさいよ、処女が母となる将来のためを思って言って聞かせてあげるんだから、はにかまずに聞いてお置きなさいよ――」
 道庵は、冷静に釈明をして置いて、それからまた盃《さかずき》を挙げ、
「お産を安くしようとするには、まずともかく、身体を冷えないようにすることだね。身体の冷える、冷えないにも、それぞれ体質があり、拠《よ》るところもあるのだが、人間の身体はどうしても冷えてはいけねえ、清盛様みたいに火水の病も困るが、人間が冷えてつめたくなると、やがてお陀仏になる。そこで、身体の冷えを救って、よき子を産む方法がある、膝のうしろのところへ、三つお灸《きゅう》を据えるんだね――その灸点の場所は、ちょっと秘伝なんだ、お望みなら据えてあげましょう。幸いここは胆吹山で、艾《もぐさ》に事は欠かない、お望みなら、それをひとつお雪ちゃん、あなたにこの場で据えて進ぜましょう――利《き》きますぜ、道庵が師匠からの直伝《じきでん》の秘法なんですから、効き目はてきめんでげす。現に、これまでどうしても子供を欲しがって与えられなかった母体に、道庵が秘法を授けてから、ひょいひょいと三人も五人も産み出しました、女ほど貴きものは世にもなし、釈迦も、達磨も、ひょいひょいと産むと言いましてな」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
 お雪ちゃんがまた笑うと、道庵はいっそう真顔になって、
「その灸点は、もと水戸から出たんだ、水戸の光圀公《みつくにこう》が発明だなんていうが、そのことはどうだか、とにかく、てきめん利くよ、現金効能が顕《あら》われる。そいつをひとつ今日、道庵がお雪ちゃんのために施して進ぜましょう、そうして、釈迦でも、孔子でも、どしどし産み並べてもらいてえ」
「いけません、そういうことをおっしゃるのは、処女の神聖を侮辱するものでござ
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