晩、長浜方面から帰りがけだと言って立寄った時に、関守氏が何か言ったようだけれど、いろいろに気の散っているお雪ちゃんには、それが思い出されないでいると、関守氏は続けて、
「しかし、まだ今晩が剣呑《けんのん》でござんすからな、友造君によくそのことを話して置いて、相成るべくは早く戸を締めて、そうして燈火《あかり》も外へ漏れないようにすることですな」
さまで念を入れての警戒が、お雪ちゃんによく呑込めないでいたが、ようようそれと感づいたか、
「関守さん、もう大丈夫でございますよ、友さんの親切で、子供を連れて行ってしまったんですもの、そうしつこく[#「しつこく」に傍点]仕返しになんぞ来はしないとわたしは思いますわ」
「何のことです、お雪ちゃん」
「関守さん、あなた何のことをおっしゃっていらっしゃるのですか」
「何のことじゃありません、昨晩もちょっとお話ししたじゃありませんか、湖岸一帯のあの一揆《いっき》暴動のおそれなんですよ」
「まあ、そのことでございましたか、わたしはまた、あの鷲《わし》の子のことかと思いました」
「いや、そんなんじゃありません、鳥獣《とりけもの》の沙汰《さた》じゃないのでごわす、人類が食うか食わぬかの問題でして……」
そこで、お雪ちゃんにも、関守氏が関心を置くことの仔細がよく呑込めました。
四十九
「まあ、お聞きなさい、お雪ちゃん、こういうわけなんです、事の起りと、それから騒動の及ぼすところの影響は……」
と前置きして、関守氏がこんなことを語り聞かせました、
「今度の検地は、江戸の御老中から差廻しの勘定役の出張ということですから、大がかりなものなんです、京都の町奉行からお達しがあって――すべての村々に於て、この際|如何《いか》ような願いの筋があろうとも聞き届けること罷《まか》り成らぬ、というお達しがあって、村々からそのお請書《うけしょ》を出させて置いての勘定役御出張なのです。そこで老中|派遣《はけん》の勘定役が、両代官を従えて出張してまいりましてな、郡村に亘《わた》って検地丈量の尺を入れたのでござるが、もとよりお上《かみ》のなさることだから、人民共に於て否《いな》やのあろうはずはないのでござるが、そのお上のなさるというのが、必ずしも一から十まで公平無私とのみは申されませんでな」
関守氏は煙管を炉辺でハタハタとはたいて、吸殻を転がし
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