し加えられた火花が、一層お雪ちゃんの気分を引立てたものに見せましたから、もうこっちのもの、という考えがいよいよ確実になってみると、米友としてもいよいよ米友度胸が据《すわ》ったのです。
 とはいえ、稽古半ばで落された武術の修行者が、さめると共に元気を回復して、すぐさま相手に一戦を挑《いど》みかけるというような現金なことはなく、まだ決して自分の意志を表白し得るほどの程度にも達していないのですが、もうこっちのもの、という信念を米友に持たせることに於ては牢乎《ろうこ》として動かすべからざるものがあったのですから、米友の取扱いもいっそう和気もあり、やみくもにゆすぶることには及ばない。ゆすぶってはいけないのだ、安静に寝かして置いた方がいい、もともと外部に創傷のある出来ごとではないのだし、長いあいだ病気で弱っていたという身体でもないのですから、安静にして置いて、且つ冷えないようにしてやりさえすればそれが何よりなのだ、という看護法の要領だけは米友の頭にうつって出来たものですから、そのまま後生大事にお雪ちゃんをまた元の枕に寝かせながら、
「だから言わねえこっちゃねえ、お前《めえ》、あの男にどうかされたんだろう。あの男というのは、お前が先生先生といってかしずいているあの盲《めくら》のことだ、ありゃお前、魔物だぜ!」
と言いましたが、無論まだ口を利《き》く自由さえ得ていないお雪ちゃんが、この文句を聞き取れようはずはありません。自然、米友のいうことは独《ひと》り言《ごと》になってしまっているのですが、聞かれていようとも、聞かれていなかろうとも、独り言であろうとも、相手を前に置いての独得のたんか[#「たんか」に傍点]であろうとも、米友としては言うだけのことを言いかけて、途中でやめるわけにはゆかない。
「お前はこっちへ寝て、あの男は向うの屏風《びょうぶ》の中へ寝たんだろう、まさか一緒に寝るようなことはありゃしめえ、あんな人間の傍へ近寄ろうとするのがあやまりなんだ、まあ怪我がこれだけで済んだから幸福《しあわせ》のようなものなんだ。ところで、お前が珍しがっているあの人間は、今はその屏風の蔭に寝ちゃあいめえ。なあに、そこに寝ているぐれえなら世話はねえんだ、おいらでさえ、同じ座敷に寝ていて、毎晩のように出し抜かれた魔物なんだから、お雪ちゃんなんぞ一たまりもあるもんかよ」
 あちらの枕屏風の外から、中を
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