たのはどうしたものでしょう。
その形相《ぎょうそう》を見るに、生ける長身の不動が、火焔を吹き靡《なび》かせつつ、のっしのっしと歩み出したようなものです。ただ、その火焔の色が、不動尊のは普通の火の如く紅《あか》いが、この物影から起る猛火は青いのです。
それは青い火が後ろから飛んで来て、不意にこの物影にむしりついたのか、或いはこの物影の体内から自然に青い火が燃え出して、この雰囲気を作ってしまったのか、そうでなければその辺の焼残りの野火にでも触れて、忽《たちま》ちこんな火焔を背負わされてしまったのだか、そのことは、はっきりわからない。
最初にあの家を出る時は、証跡《しょうせき》の誰にもわからないくらいでしたから、当然こんなに火を背負って出て来たはずはない。ここまで来る途中、いつ、どこでということなく、松柏の林をくぐるかくぐりきらないうちに、この通り火の人となってしまったのですが、この火は、世間普通の紅い火のように、この人を焼く力を持っていないことは確かで、かくも全身に火を背負わせながら、その足どりとしても、息づかいとしても、従前とさのみ変ることはなく、強《し》いてわれともがいてその火を揉み消そうなんぞとしない落着きを見ても、青くして盛んなる火には相違ないけれども、熱くして人を傷つける火でないことだけは認められる。
のみならず、この物影がはっと物を踏み越えた時は、その足許《あしもと》から、木の間のさわりを払おうとして手を挙げた時は、その手先から、或いはくぐり入ろうとして傾けた頭巾の上から、つまり、全身からは全身として発火している上に、個別的に四肢五体の一部分を動かせば、その動かしたところから、青い火が湧いて出るのです。
柳川一蝶斎の一座の手妻《てづま》に、水芸《みずげい》というのがある。錦襴《きんらん》の裃《かみしも》をつけた美しい娘手品師が、手を挙げれば手の先から、足をあげれば足の先から、扇子を開けば扇子から、裃の角からも、袴のひだ[#「ひだ」に傍点]からも水が吹き出す。今ここに現われた物影は、手品つかいの芸当を習い覚えて、その伝をここでひそかに実演を試みているわけでもあるまいが、その現われたところは、まさにあれと同工異曲で、御当人はそれを気にしていないこと勿論だが、もし、他人があって、たとえば剣《つるぎ》の巷《ちまた》にある人を呪《のろ》うて貴船《きぶね》の社
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