賜物《たまもの》なんだ。
 先生のためにゃあ、生命を投げ出しても惜しくねえ――というのはあたりまえ過ぎるほどあたりまえなんだ。
 米友は、いつも考えて恩に着ている通りを、今もまた思い返したのに過ぎませんが、今日は、どうしたものか、それに一歩を進めて、
「だが、人間というやつぁ、生きているのが幸福《しあわせ》か、死んでしまった方が楽なのか、わからねえな」
 生死のことを考えると、どうしても米友は異体同心の昔の友を思わずにはおられません。昔の友というのは、間《あい》の山《やま》以来のお君のことです。お君を考えると、ムク――
「今ごろは、どこにどうしていやがるんだかなあ」
 さすがの豪傑米友が、ここに来ると、どうしても半七さんの安否を思いわずらうようなセンチメンタルの人となるのを、如何《いかん》ともすることができない。
 ああ、このごろ少し紛れていたのが、また湧き上って来やがった。
 いやだなあ――
 思うまいとして抑えると、意地悪く手に合わないように噴《ふ》き出して来る。
「いやだなあ――」
 拝田村の村と、村の田の畦《くろ》と、畑の畔《あぜ》とを走る幼い時の自分の姿が、まざまざと眼の前に現われて来ました。
 藁《わら》の上から、おいらは親というものの面を知らねえ――
 あの田圃の畔を流れる川の水は綺麗だったなあ、芹《せり》が――芹が川の中に青々と沈んでいやがった。鮒《ふな》を捕ったり、泥鰌《どじょう》を取ったり……
 お君ぁ、君公は子供のうちから綺麗な子だった。みんなが振返ったなあ。あいつが――あいつもお前、母親はわかってるんだが、父親というのはいったいドコの何者だかわからねえんだぜ――おいらとの間はまあ兄妹みたいなもんだが、本当は兄妹より上なんだぜ。子供のうちぁ、ふたり一緒に抱き合って藁の中へ寝て育ったんだ。子供のうちじゃあねえや、いい年になるまで――あいつが十の幾つか上になった時分に、
「もう友さん、二人で一緒に寝るのをよしましょうよ、人が笑うからさ」
とあいつが言ったから、おいら、
「うむ、寝たくなけりゃ、寝んなよ」
と言って、それっきり、二人は別々に寝るようになったんだが――いま考えてみると――米友は、何かしきりに意気込んで、眼に一種異様の光を帯びてきましたが、じっとしているうちに、涙が連々として頬に伝わるのを見ました。
「あの時分のように、藁ん中で、もう一ぺ
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