けの時次郎がたまりかねて、
「おい、もうちっと静かにしておくんなせえ」
隔ての襖をサラリとあけて、たしなめ面をした。その隙間から見ると、いるいる、車座になってばくちの大一座。
正面切ったのは、色の白い、ちょっとぼうぼう眉のお公卿《くげ》さんと見えるような大姐御《おおあねご》、どてらを引っかけて、立膝で、手札と場札とを見比べている。
その周囲に居流れた雪の下の粂公《くめこう》、里芋のトン勝、さっさもさの房兄い、といったようなところが、血眼《ちまなこ》になって花を合わせている。
一方には、別にまた自分の女房らしいのを賭け物に引据えて置いて、しきりに丁半を争う二人組もある。
四十
あだしことはさておき、上平館の一室の炉辺に於ては、宇治山田の米友が寂然不動の姿勢をとって、物を思いつつあることは以前の時と変りありません。
このたびは、何かこんがらかった想像が、それからそれと思案に余るものがあると見えて、夜舟を漕ぐような懈怠《けたい》が無いのみならず、そのもてあます思案がいよいよ重くなると共に、頭も、眼も、相当に冴えてくるのです。ここでとうとう鶏が鳴いてしまいました。
鶏が鳴いたといっても、必ずしも夜が明けたという意味にはならない。一鳥鳴いて山更に幽《かすか》なりということもあるのだから、時と人とによっては、これから日の出の朝までをはじめて夜の領分として、この辺から徐《おもむ》ろに枕につこうというのも多いのです。今の米友はそのいずれにも頓着はないのですが、胆吹の全山は、まだ鶏の一声によって呼び醒《さま》されてはいないのです。
思案に耽《ふけ》る米友は、無意識に火箸の先で炉辺の軽い薪を取りくべながら、重い頭を垂らしていたが、ふと、
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
という声に驚かされて、その傍《かた》えを見やると、道庵先生が、縦の蒲団を横にして寝ているのです。
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」というのは、つまり右の道庵先生の、これぞ熟睡中に無意識に口を動かしたところの、うわごとのようなものでありました。
そこで、米友は、また先生のために、夜具の片端を坐りながらちょっと引延ばして、なるべくその足の方の部分が露出しないようにと気を配ってやりながら、今、ムニャ、ムニャ、ムニャという発音をしたところの先生の寝顔を、見るともなく見やりました。
「御苦労のねえ先生
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