るもの、存外わるびれません。
「君たち、まだ若い、そもそも武州八王子というところは、なめ[#「なめ」に傍点]さんも先刻いわれた通り、新刀の名人繁慶もいたし、東洲斎写楽も八王子ッ子だという説があるし、また君たちにはちょっと買いきれまいが、二代目高尾という吉原きってのおいらんも出たし、それから君たち、いまだに車人形というものを見たことはあるめえがの――そもそも……」
通人は車人形の来歴と実演とを型でやって見せた上に、
「近代ではまた、鬼小島靖堂という、五目並べにかけては無敵の名人のことはさて置き、鎌倉権五郎景政も八王子ッ子だと言えば言えるし、尾崎|咢堂《がくどう》も八王子ッ子だと言えば言えるんだが、あいつぁ共和演説だからおらあ虫が好かねえ――それから学者で塩野適斎、医者の方では桑原騰庵……天然理心流の近藤三助、国学で落合|直文《なおぶみ》――」
通人は次から次と八王子ッ子の名前を並べて、
「君たち、八王子八王子と安く言うが、そもそも八王子という名前の出所来歴を知るめえな。江戸は江の戸だあな、アイヌ語だという説もあるが、大きな川が海へ注ぐ戸口だと見てさしつかえねえ、大阪は大きな坂だよ、大きな坂だから運賃が安いか高いか、それだけのことなんだが、八王子と来ると、もっと深遠微妙《じんおんみみょう》な出所来歴がある。君たちは知るめえが、そもそも八王子という名は法華経から来ているんだぜ。法華経のどこにどう出ているか、君たち一ぺんあれを縦から棒読みにしてみな、すぐわかることだあな。ところが、ものを知らねえ奴は仕方のねえもんで、近ごろ徳冨蘆花という男が、芋虫《いもむし》のたわごとという本を書いたんだ、その本の中に、御丁寧に八王子を八王寺、八王寺と書いている。大和の国には王寺というところはあるが、八王子が八王寺じゃものにならねえ、蘆花という男が、法華経一冊満足に読んでいねえということが、これでわかる……」
こういう説明と気焔とを聞いているうちに、一座がまた感に入りました。なるほど、この老爺《おやじ》物識《ものし》りだ、色が黒いから「炭焼江戸ッ子」だなんて言ったのは誰だ! 上は法華経よりはじめて、江戸時代の裏表を手に取るように知っている。のみならず、この当時、母の胎内にみごもっていたか、いなかったかさえわからない徳冨蘆花という文学者の文字づかいの揚げ足までもちゃんと心得ている。それか
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