「では、改めて、わたし、はっきりと第二のお頼みを――いいえ、お頼みではない、命令の形式で、友さんに申し渡します」
「ちぇッ」
「否とは言わせません」
「ちぇッ」
「まあ、そんなに意気張らなくてもいいわ、もう好意ある黙諾を受けていることを、かりに形式で申し渡すだけなんだから」
「ちぇッ」
「ねえ、友さん」
「何だ」
「お前、今晩、ここで、わたしと一緒に寝ない?」
「エッ」
宇治山田の米友が、この時ばかりは、飛丸に胸を打貫《うちぬ》かれたように絶叫しました。
三十三
「もう聞きません、女から男への頼み、主から家来への命令、この二つの掟《おきて》を破れるものなら破ってごらん」
とお銀様は、灼熱《しゃくねつ》の鏝《こて》を米友に向ってグイグイと押当てる。
「ばかにするない」
坐りながら、米友がタジタジと座をさがって行きました。
「どっちから行っても許しません。それよりも、友さん、お前は今晩、ここで、わたしと一緒に寝て悪いという証拠があるのですか」
「ばかにするない」
「ばかにするどころですか、わたしは、今晩に限って友さんが可愛くてたまらないのよ、ねえ、怒らないで考えてごらんなさい、友さん、お前にはおかみさんは無いでしょう」
「ばかにするな、こん畜生!」
「怒らないでさ。お前さんにおかみさんが無いように、わたしにも御亭主というものはありません、ですから、二人が、ここで一緒に寝ようとも、起きようとも、誰が咎《とが》める者がありましょう」
「ばかにするなよ、この阿魔《あま》!」
「ばかになんぞしちゃいませんよ。それからねえ、友さん、お前さんだって、男でしょう、わたしだってこれでも女の端くれなのよ、女が男に惚れておかしいということがありますか、男と女とは、許すもののように出来ているのが本当で、許されないというのは、神代からの掟《おきて》ではないのです」
「ふざけるな! いいかげんにしろ!」
「何がふざけるのですか、友さん、ごらんなさい、あの奥の間で、二人の仲のよいこと、あれは何ですか、一方が眼が見えようとも見えまいとも、男は男に相違ない、一方は、まだ世間知らずとは言いながら、油断のならない、小娘だって女のうちじゃありませんか、その男と女の二人がああして仲よく奥の一間にいるのを、友さんは何とも驚きもしない、咎めもしないで、おとなしく張番をしていながら、それと
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