ったけれど、まさかお銀様であろうことを、米友が睨み足りなかったことに起ったこの場の番狂わせ――
三十一
「友さん、入ってもいい?」
とお銀様から言われて、米友が、
「うむ」
と答えざるを得ませんでした。
米友としては完全なる拍子抜けです。拍子抜けというよりも力負けなんでしょう。立合で言えば全く気合を抜かれてしまったのですから、技《わざ》も、力も、施す術《すべ》がないので、相手にイナされようとも、突き出されようとも、御意《ぎょい》のままなのです。
そこで、当然、お銀様が米友をリードしてしまって、進んで例の戸口から、この家の中へ大手を振って――暴君とは言いながら女のことですから、形式に於て大手を振るような振舞はなかったけれども、ずっとその昔、本所の弥勒寺長屋で米友から、厳しい咎めだてを蒙《こうむ》りながら、ついに屈することを為さなかった、覆面のまま人の座敷へ進入する、その傲慢無作法だけは今晩も改めないで――ずっと座敷へ、以前、お雪ちゃんも坐り、奇怪千万な剃刀の使い手も坐り、現在は米友が快く夜船を漕いでいた当時の炉辺へ来て、然《しか》るべきところへお銀様が、米友に先立って座を占めてしまいました。
おぞましくも、米友はそれにリードされたのみならず、弥勒寺長屋の時のように、たんかをきって、それを咎めだてすることをさえ為し得ず、唯々《いい》としてお銀様に導かれて、自分も、さいぜんの夜船の座に直りました。
これは、いかに米友理窟を以てしても、ちょっと文句がつけられないのです。というのは、傲慢であろうとも、無作法であろうとも、ここに鎮座し給う覆面の女将軍は、まごう方なきこの地方の新領主であることを、米友の理性が許しているから、自然、この家の軒下であろうとも、縁の下であろうとも、竈《かまど》の下であろうとも、この女人の王土のうちでないということは言えない。してみれば晴天であろうとも、深夜であろうとも、王者が王土に親臨し給うことに於ては文句がつけられない。我々は、たとい王臣というものでないとしても、その王土の中の一種のかかりうどなのだ。
そういう理解の下《もと》に、多分、米友はその王者の傲慢無作法を許していたのだろうと思われます。
「友さん、今晩、わたしを此家《ここ》へ泊めて頂戴な」
充分に座が定まってから、女王の第二段の勅命がこれでありました。
「う
前へ
次へ
全220ページ中78ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング