うわけでもなく、捕われの身の子として、親が戸外まで迎えに来ているということを知ってみれば、居ても立ってもいられないのは、何人といえども見易《みやす》き、これも単純にして深刻なる本能の発動に過ぎないのであります。
しかし――天上天下一切万象が、皆この単純なる本能によって支持されている。
お雪ちゃんも語らず、米友も問わないけれど、この物の道理は、ひしと二人の胸にこたえています。ですから、米友は得意の杖槍は取りは取ったけれども、これを持って外なる親に向うべきか、内なる子を戒《いまし》むべきか――途方に暮れているのもまた、やむを得ないものがある。
「やかましいやい!」
と、米友が思わずじだんだを踏んで、こういって怒鳴りつけてみましたけれど、その悪罵《あくば》には毒を含んでいませんでした。それのみか、その眼に何となしに露を帯びている。
「やかましいやい! いいかげんにしろ、鳥!」
最初は天井を見上げて言ったのだが、次には軒の方に向って叫びました。お雪ちゃんもまた最初から途方にくれて、
「友さん」
「うむ」
「どうしようねえ」
「どうしようったって……やかましいやい、鳥!」
米友が二度、じだんだを踏みました。
この場合、さすがの二人も、上と下とで、かけ合わせる鳥類の猛絶叫のために、完全に圧倒せしめられたようなものです。
その結果、二人とも全くの沈黙に陥れられてしまいました。だが上と下との鳥類は、単に一方が一方に弥次《やじ》り勝って、一方を沈黙させれば、それで勝利の満足の快感に酔うというスポーツ的興味のために喚《わめ》いているのではないのですから、内なる二人が沈黙しようとも、すまいとも、その怒号と喧噪とをやめることではありません。
ただ不思議と思われるのは、高い樹上で怒号している親鷲なるものが、なぜもっと近く、庭上、少なくとも地上まで降りて来ないかということでありました。いかに猛禽《もうきん》が降り立って肉薄して来《きた》っても、戸締りはさいぜんがっしりとしてあるから、室内まで異変を及ぼすということは、万《ばん》ないにきまっているが、ここまで来て、ああして騒ぐ上は、たといくろがねの垣根一枚が破れようとも、破れまいとも、もっと近く肉薄して来なければならないと思われるのに、声の烈しくして切なるわりには、距離が遠くして高過ぎるきらいがある。
しかし、いよいよ加わってくる
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