わたしはまた、こんな毒々しい花が好きなんです」
と言って、お銀様は、いきなり前かがみになって、その花の一茎を手早く摘み取って、そうして、それを無遠慮にお雪ちゃんの鼻先に持って来て、
「香いをかいでごらんなさい」
「あっ!」
 ああ、いやな香い――お雪ちゃんは、むせ返って、ほとんど昏倒しようとしました。
「そんなにいやがるものじゃありません、それは白馬ヶ岳の雪に磨かれた深山薄雪《みやまうすゆき》や、梅鉢草《うめばちそう》とは違います、ここのは、眼の碧《あお》い、鬚《ひげ》の赤い異国の人が持って来て、人の生血《いきち》を飲みながら植えて行った薬草なんですもの」
「もう御免下さい」
「あなたには嫌われてしまいましたねえ。それでも、わたしはなんとなし、このあくどい香いが好きなんです」
 お銀様は、その一茎の花を今度は自分の鼻頭《はなづら》へあてがって、菫《すみれ》の香《か》に酔うが如く、貪《むさぼ》り嗅ぐのでありました。
 お雪ちゃんはめまいがしてきました。
「お雪さん、しっかりしなくちゃいけません、この花の香いぐらいが何です――それそれ、この山から立ちのぼる悪気の香いは、日本の武神|日本武尊
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