里や百里ではないように思われてなりません。
まして、この大湖の岸には、飛騨の高山と違って、日本|開闢《かいびゃく》以来の歴史があり、英雄武将の興亡盛衰があり、美人公子の紅涙があるのです。さすが好学のお雪ちゃんにしても、いま直ぐにその歴史と伝記を数え挙げるに堪えないのですけれども、歴史と伝記に彩られているこの山水の形勢が、お雪ちゃんの詩腸を動かさないということはありません。
あわただしい今日の日が過ぎれば、やがていちいちの指呼のあの山水についての、人間の残したロマンを訪ねることが、今のお雪ちゃんの生活に清水のように湛《たた》えられているのです。
今も、うっとりとながめていると、ふと比良ヶ岳のこなた、白雲の揺曳《ようえい》する青空に何か一点の黒いものを認めて、それを凝視している間に、みるみるその一点が拡大されて、それは鵬翼《ほうよく》をひろげた大きな鳥、清澄の茂太郎がよろこぶアルバトロスを知らないお雪ちゃんにとっては、まあ、何という鳥でしょう、あんな大きな鳥は見たことがありません――白骨の山の奥にいる時だって見たことのない鳥。
そう思って右の一点の鳥影から眼をはなすことではありませ
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