数百、数千の人が団結して侵して来たらどうします」
「その時は、わたしたちのうちの男は鍬《くわ》を捨てて、女はつむぎを投げ捨てて、その外敵を弾《はじ》きかえします」
「してみると、そういう不時の侵入者に対して、平常の用意というものが要りますね――五六十人の敵ならば、有合わす得物《えもの》を取って、応急的に追っぱらいましょうけれど、千人万人の侵入者に対して素手《すで》というわけにはゆきますまい、先方もまた必ず素手でやって来るというわけでもありますまい。必ず、こちらにも、それに要するだけの武器というものを、平生備えて置かなければならないでしょう」
「それは、事業が進み、規模が大きくなるにつれて、自然にその準備が出来るようになります。たとえば部落の中に火事があったとしましても、一軒二軒のうちならば、手桶や盥《たらい》で間に合いましょうけれど、殖えてくれば、非常手桶や竜吐水《りゅうとすい》も備えなければならず、また備える費用もおのずから働き出せて来ようというものです。いつ来るかわからない侵入者のために、あらかじめ備えて置かなければならない必要もありますまい」
「拙者は、そうではないと思う、その非常と侵入者に対するあらかじめの設備が無い限り、開墾地は成り立つものでないと思う。そうして、行く行く、その設備のために生産の大部分が奪われて行ってしまうから見ていてごらんなさい――それはそうとしてですな、今度は内部に就いて伺いましょう。お銀さん、仮りにあなたの理想国が成立して、無事に相当の期間つづき得たとしてですな、外敵も侵入者も影を見せない水いらずの楽土が成立したとしてですな、その内部に我儘者《わがままもの》がいたら、それを誰がどう処分しますか」
「そこです、わたしの理想国では我儘というものが無いのです。我儘がないというのは、誰に対しても絶対に我儘を許すからです。今の政治も、道徳も、すべて人間の我儘を抑えることにのみ専一なのですから、それで人間の反抗性を煽《あお》る結果になるのです。無制限に我儘を許してみてごらんなさい、人は無意識に自重の人となりますよ」
「ははあ、それは、すばらしい徹底ぶりですね、また一理ありと思いますが、そんならひとつ、実例について伺いましょう」
と、竜之助は尺八を取り直して、それをかせに使いながら、改めてお銀様にものやわらかな質問を試み出しました。

      
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