の大半が一目なんです。
自然に、その琵琶の湖をめぐるところの山河江村までが眼の下に展開されていようというものですから、誰だってこの縁先を祝福せずにはおられない道理、まして風景を愛することを知るお雪ちゃんのことです、さいぜん摘《つ》み取って来た野菜類を洗って、ここへ掬《すく》い上げて来て、俎《まないた》、庖丁、小桶の類までこの縁先に押並べて、そうして琵琶湖の大景を前にしてはお料理方を引受けているところです。
お雪ちゃんが庖丁を使っている手を休めて、まぶしそうに眼を上げて、またうっとりと、なだらかな胆吹尾根から近江の湖面を眺めやった時――壺中の白骨《しらほね》の天地から時あって頭を出して、日本の脊梁《せきりょう》であるところの北アルプスの本場をお雪ちゃんは眺めあかしておりました。それからふと、飛騨の高山の相応院の侘住居《わびずまい》へ居を移してみると、眼下に高山の市街を見て胸が開いたほど眼界の広きを感じましたが、今ここへ来て見ると、その比較ではありません。
さすがに日本第一の琵琶の湖は大きい。周囲七十五里と言ってしまえば、それまでですけれども、こうして見たところ津々浦々は、決して七十里や百里ではないように思われてなりません。
まして、この大湖の岸には、飛騨の高山と違って、日本|開闢《かいびゃく》以来の歴史があり、英雄武将の興亡盛衰があり、美人公子の紅涙があるのです。さすが好学のお雪ちゃんにしても、いま直ぐにその歴史と伝記を数え挙げるに堪えないのですけれども、歴史と伝記に彩られているこの山水の形勢が、お雪ちゃんの詩腸を動かさないということはありません。
あわただしい今日の日が過ぎれば、やがていちいちの指呼のあの山水についての、人間の残したロマンを訪ねることが、今のお雪ちゃんの生活に清水のように湛《たた》えられているのです。
今も、うっとりとながめていると、ふと比良ヶ岳のこなた、白雲の揺曳《ようえい》する青空に何か一点の黒いものを認めて、それを凝視している間に、みるみるその一点が拡大されて、それは鵬翼《ほうよく》をひろげた大きな鳥、清澄の茂太郎がよろこぶアルバトロスを知らないお雪ちゃんにとっては、まあ、何という鳥でしょう、あんな大きな鳥は見たことがありません――白骨の山の奥にいる時だって見たことのない鳥。
そう思って右の一点の鳥影から眼をはなすことではありませ
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