八をまた伏して拝みましたので、いよいよ与八がもてあましてしまいました。
 もとよりこっちは木喰でもなければ五行でもなし、上人様などとは以ての外、正真正銘の沢井村の与八に違いないのですが、先方がどうしても上人様だと信じ、そう決めてしまって拝むものだから、どうにも言い解く術《すべ》はありませんでした。正直な与八は何とも押すことができないのです。しかし、木喰五行というのは、ともかくもこのお婆さんと同じ郷里にあって、そうしてその上人様が世にも稀な生仏《いきぼとけ》のような徳の高い坊さんであったということは想像されるのです。
 他国者の自分は、そんな珍しい人が、この近所から出ておいでなさるというようなことは聞いていなかったが、幸いこの機会に、このお婆さんにお聞き申して置いて有難いお手本にすることだ、というような気になりましたものですから、与八は、お婆さんをつかまえて、そのいわゆる木喰五行上人の行状に就いての昔話を聞くことになりました。
 このお婆さんの語るところによると、木喰五行上人というのは、ここから南へ下って富士川を距《へだ》てた西八代郡《にしやつしろぐん》の丸畑《まるばたけ》というところの、貧しい百姓の二番目の息子として生れたということです。十四歳の時に村をあとに江戸へ出で、それからさまざまの憂《う》き艱難《かんなん》を経て、ある時は相模《さがみ》の大山石尊《おおやませきそん》に参籠《さんろう》し、そこで二十四の時に真言《しんごん》に就いて出家をとげ、それより諸国を修行し、或いは諸所の寺々の住職をし、廻国修行のうち四十五歳の時、常陸《ひたち》の国、木喰観海上人の弟子となり、木喰戒を継いで、それより四十年来の修行、およそ日本国、国々山々、岳々島々の修行を心がけ、ついに大願を成就《じょうじゅ》した。その廻国の途中到るところに寺を建て、堂を営み、自家独得の素朴なる仏体神体の彫刻を無数に遺して、九十三歳の高齢で大往生を遂げた、それが今いう木喰五行上人のことである。
 木喰というのは、肉食をしない、すべての美食を断って単純な菜食に帰するのみではなく、すべての火食を避けた、菜食にしても、火にかけたものは食べることをしないのが即ち木喰である。四十五歳より一生の托鉢《たくはつ》の間、この木喰戒を守り、転々の一生を送ったのだが、与えられない時は、木の葉や草の葉で飢えを凌《しの》いでいた。
前へ 次へ
全104ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング