の災難の次第を物語ってから、自分の注意の行届かなかったことをお詫《わ》びをすると、お詫びどころではござらない、こっちの災難を、おかげさまで手当が早かったからもう大丈夫、蝮《まむし》に食われた覚えは村の者にもいくらもあるが、どうしてこんなものではない、これは手当が早くて上手にやってもらったおかげだ――と言って、怪我をさせてもらって有難うと言わぬばかりに、親たちはお礼を言いました。
また、時として子供たちが学業中、急に腹痛、頭痛、めまい、立ちくらみを訴え出すと、与八は直ちに手当をし、容体をよく聞きただし、撫でたりさすったり、用意の草根木皮を煎《せん》じたり、つけたりして与えると、不思議によく治るのです。そうして親たちが迎えにでも来ようものなら、その容体によって、その子供たちの今後の摂生法などを教えてやるのです。打身、きり創のような時もその通りだし、心持が親切の上に、手当が上手だし、それに別段金をかけて薬品を買いととのえて置くというわけではないけれど、日頃心がけて、手近な草根木皮をとって、干したり乾かしたりして蓄えて置くものですから、急場の間《ま》に合います。これは一つは、与八が道庵先生に親炙《しんしゃ》している機会に、見よう見まねに習得した賜物《たまもの》と見なければなりません。
あの馬鹿みたようなデカ者は、先生もやれる上に、お医者さんも出来る!
と村人が再び驚異した時分には、ただこの先生でありお医者である人を、子供たちの専用にさせては置けない結果になりました。
この学校も繁昌するが、このお医者さんをまた流行《はや》らせずには置かない世の中になり行きます。
この間とても与八は、自分の彫刻と、説教と、教育と、医術とに専《もっぱ》らなるのみではありません、主家伊太夫のためにも、絶えず詰め切って蔭日向なく働き、またその最も有力なる相談役を委せられてもいました。
二十七
そのうちに、誰言うとなく、こんどお大尽様へ来たデカ者は、あれは只者ではござらねえ、まさしくあれは木喰五行上人《もくじきごぎょうしょうにん》のお生れかわりに相違ない、五行上人が生れかわって有野村のお大尽の邸へお出ましになった――
と、こういう噂《うわさ》が立ちました。
そうすると、善男善女《ぜんなんぜんにょ》が木喰五行上人の再来のお姿を拝みたいというので、与八のこの新屋へお詣
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