いますが、どうも旦那の思召しが有難え上に、なんだか旦那のお胸のうちを考えてみますと、わしもひとりでに涙がこぼれるような気になりますでなあ、ああおっしゃられなくても、急にこのお屋敷をお暇《いとま》申す気にはなれねえでいるところでございます、新屋を一つ建てろとおっしゃって下さることは、直ぐにここで御返事ができます、どうかそうさせていただくことに願《ねげ》えます。なに、郁坊とわしの二人で臥起《ねお》きをする場所だけあればいいのでございます、いつまでもこうして、納屋に居候をさせていたでえておいてもいいのでございますが、納屋はまた納屋で用向があるでございますから、人間は人間として狭くとも一軒別にあてがっていただけば、こんな有難えことはございませぬ」
「うむ、よく言ってくれた、じゃあ早速、今日からでも、お前の好きなところへ地取りをしなさい、どこでもいい、そうして材木はいくらでも出してやる。大工も左官も、みんなあてがってやる、大きくとも小さくとも、お前の好きなように地取りをして、絵図面を拵えてごらん」
「はい、どこまでも有難えことでございます――それなら早速、明日からでもそういうことにお願え申すことに致しやして、それに就きまして、旦那様、その上に一つお願えがあるでございますが……」
「改まってお願いのなんのと言うがものはなかろう、言ってごらん」
「今、旦那様が好きなところへ地取りをしろとおっしゃいましたが、その地取りについて、わしらに望みがあるでございます」
「望みがあるならなお結構、その望みのところを取りなさい」
「では、お願え申しますが、あの旅においでになったお嬢様とやらが建ててお残しなすった、あの悪女塚というところの地面を、わしにお借り申させていただきてえんでございます」
「えッ」
と、その時に、伊太夫が思わず眼をみはったくらいでした。
「与八」
「はい」
「わしはな、お前にドコでも望めと言ったが、あれだけは勘弁してくれないか」
「いけませんか」
「いけない理窟はないのだが、あれは遠慮した方がよい、第一わしが迷惑するより、あんなところを選ぶお前が迷惑するのが眼に見えるのだ」
「旦那様――わしの方の迷惑なんぞは、ちっともかまいませんが、わしはお屋敷のうちのどこよりも、あそこが好きなのでございます、あそこへ新屋を建てさせていただきたいのでございます」
「それは困るな」
「ねえ旦
前へ
次へ
全104ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング