ちほど、ゆっくりお話し申し上げましょう。今晩、先生は、どちらへお泊りでいらっしゃいますか」
「わしかい――まだどこといって、宿はきまらないが、とりあえず、大町の高橋玉蕉という女の学者のところをたずねて参るつもりだ」
「大町の高橋先生とおっしゃいますか」
「そうだ、女で有名な学者――それに家はなかなか金持の商家ということだから、そこをたずねて来ればわかるだろう。もしまた、別に宿を取った時は、その家へ申し置くから、わかるようにして置く」
「よろしうございます、私は、只今のところ、仕事が少々|忙《せわ》しうございますから、今晩――夜分も遅くなるかも知れませんが、必ずお伺い致しますから、おかまいなく、お休みになってお待ちくださいませ」
「うむ――では」
と言っているうちに、右の蛇籠作りは、大忙しがりで、ついそこの柳の木の下へ引込んでしまい、そこで、以前の通り一心に蛇籠を編み出したものですから、白雲も、ちょっと手のつけようがなく、そのまま川原道を急いで行くと、やがて、前から来た槍の同勢と、後から来た岡っ引の連中との間にはさまれたような形になりました。
だが、別段、問題は起りません。白雲は川原道で、この前後の勢を無事にやり過して、自分は悠々閑々と歩いて行きながら、ふと、柳の木の下を見ると、蛇籠作りが一心不乱に蛇籠を編んでいるのがかすかに見られて、別段の異常を認めません。
槍の一隊はと見ると、もう向うの岸についてしまって、自分が語学の稽古をした一ぜん飯屋の庇《ひさし》に槍を立てかけて、それぞれ休んでいる姿までが、豆のように見えているだけのものです。
五
川を渡りきって、白雲、途《みち》すがら思うよう、さては、駒井も洲崎にいたたまれなくなったのだな、どちらにしても、あそこが永住の地でないことはわかっているが、しかし、あわただしく出船を余儀なくされたというのは、駒井にとっては不祥だ。
人間、馬鹿では楽ができないけれども、また、あんまり頭が進み過ぎていても、楽はできないものだ。駒井ほどの英才が、当世と相容れないのは、これも一つの人間界の約束ごとかも知れないが、由来、独創の気というものは不遇の茨《いばら》の中から開けるものだから、駒井のこれからも前途の方が、なまじい衰えかけた幕府のお役人をつとめて当世に時めいているより、どのくらい意義もあり、興味もある生涯か知れないのだ。
思いきって、この石巻へ来たとか来るとかいうのは、この際、よいことを聞いた、またよいことを知らせてくれたものだが、あの知らせてくれた蛇籠作りの老爺《おやじ》こそ、全く解《げ》せないへんな奴だよ。なんにしても近々思いがけないところで駒井に逢えるのだ、そうして、もはや、自分に於ても、房州へ取って返す必要はなくなってしまったのか――それはいいとして、房州にはかなり自分としての財産を残して来たはずだが、あれはどうなったろう、まさか暴民どもに焼討ち、掠奪の憂目を蒙《こうむ》ったとも思われないが、いや、蒙ったにしたところで金目にしては知れたものだが、丹念にして置いた写生帖だけは、自分としてかけ替えがないからな、そこで多少の心残りが房州にないことはない。うむ、よしよし、それもあの蛇籠作りの老爺が知っているだろう、今晩、たずねて来ると言ったが、急にそわそわした様子がおかしいけれど――まあ、今晩来たらつかまえて、委細を聞いてやる。
こんなことを考えながら、田山白雲は、中田、大の田より長町――ここはもう仙台の城下外れです――大町というのを苦もなくたずね当てて、そこで、とりあえずまずおとのうてみようと心がけた高橋玉蕉女史をたずねると、これも難なく――これは大きな商家で、女史は宮城野の別宅にいるとのことですから、改めてそこをたずねると、ちょうど在宅でもあり、また極めて歓迎もしてくれました。
女史の住宅は数寄《すき》をこらした家です。それよりも、白雲を驚かしたことは、玉蕉女史が本当の美人であることを見たからです。
美人に、ウソの美人と本当の美人があるかどうかは知らないが、世にいわゆる才色兼備の婦人などといっても、才の方はとにかく、色の方は大割増がしてあるのを通例とするのに、玉蕉女史に限って割引なしの美人でしたから、白雲がおもはゆく思いました。
女史が学者であるということを知らないで見れば、それ[#「それ」に傍点]者と見たかも知れないほど粋《いき》な美人でした。もはや四十の坂を越していようと思われるのに、姿、かたち、どう見ても二十台で通るのです――それに、永く江戸で修業して、婦人の身で塾を開いて、生徒を教えていたというほどですから、その応接もことごとく江戸前で通り、白雲をして、俄仕込《にわかじこ》みの奥州語を応用せしめる必要は少しもありませんでした。
女史は、この遠来
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