岡っ引が二人、川から上って来ました。
白雲も、それがたしかに岡っ引の類《たぐい》でなければならないと見て取ったし、先方でも、ジロリと白雲の方に眼をくれながら、亭主夫婦の方へよって、心安立てに問いつ語りつ始めたのは、やはり純粋の奥州語を、双方とも達者にしゃべりまくるのですから、白雲の俄《にわか》ごしらえの語学では、とうてい追っつきそうなことになく、結局、何をどう受渡しているのだか、音声の上では全く要領を得ることができませんでした。それでも身ぶりや表情によって判断すると――何か事件が起って、職務の上から、非常線を張りに来たもののようでもあり、特にこの亭主夫婦に向って、川筋の警戒を申し渡し、頼み込んでいるらしい素振りであることは、判断がつきます。
で、二人の岡っ引は、こうして純粋の奥州語を亭主夫婦と達者に取りかわしていながらも、ジロリジロリと白雲に眼をくれることは以前と少しも変らないが、こっちが存外泰然自若なのに、相当|面負《かおま》けがしているようでもあります。
しかし、お茶を飲んでしまうと、どうしても、この風来の逞《たくま》しい旅絵師のえたい[#「えたい」に傍点]にさわってみないことには、役目の手前、立去れない羽目になったのは無理もないことです。
そこで、二人の岡っ引は、田山白雲の方へまむきに向って来て、今度は純粋の奥州語に多少の標準弁を交ぜて、つまり、
「貴君は、どなたですか」
こう詰問されたものですから、白雲が、
「拙者は、旅の絵師です」
と答えると、
「剣師――左様でござらば、剣道のお流儀は?」
と先方が反問して来たものです。うむ、では絵師といったのを、剣師或いは剣士と聞きそこねたのだな――いや、これは今にはじまったことではない、剣客と言えば通るが、絵師と言ったんでは通らないことになっているのが、生れついての人相だからいまさら致し方もない。しかし、まあ、どっちでもいいわ、道に剣客に逢う時はすなわち剣客になりすまし、道に絵かきに逢う時は絵かきになりすましている。ここでも、こちらは絵師だというのに、先方は剣士と受取ったのだからそれでもよろしいと、白雲が即座に答えました、
「左様、南北流を少々修行|仕《つかまつ》り、狩野、土佐、雲谷《うんこく》、円山《まるやま》、四条の諸派へも多少とも出入り致しました」
「ほほう」
これは八流兼学の大剣客とでも思ったのか、岡っ引二人は、少なからず度胆《どぎも》を抜かれたように、
「して、いずれからおいでになりました」
「江戸を立ち出でて、奥州街道を白河より福島を経て、これより仙台城下へまかり通ろうとする途中でござる」
「ほほう、して、仙台はどちらの先生の道場へお越しでござるかな」
「道場――それそれ、とりあえず仙台城下、高橋玉蕉先生の道場で一本お手合せを願い、それより松島へ罷《まか》り越して、観爛道場に推参して、狩野永徳《かのうえいとく》大先生に見参仕る目的でござる」
「ははあ、左様でござるか――昨今、仙台御城下には、少々物騒な儀がござるによって、随分御用心の上――」
二人は、多少とも、白雲の応対ぶりに呑まれたようにも見られるが、一つはその堂々たる体格と、わるびれない応答ぶりが、信用を買ったものと言わなければならぬ。事の進行によっては、一応剣客の面《めん》を脱いで、改めて絵師としての自分を証明しなければならない運命のほどを覚悟もしていたのですが、存外すらすらとパスして、岡っ引は立去ってしまったものですから、白雲も店へ払いと茶代とを置いて、ここを出ようとして、ちょっとひっかかりになったのは、道祖神からここまで持って来たあの絵馬です。
わざわざ持って来るほどのものではないが、捨てるのもなんだか心残りのようだから、ここまで持っては来たが、茂太郎ではあるまいし、これから先、どこまでも般若《はんにゃ》の絵馬と道行も変なもの。
そこで白雲は、このまま店へ置去りにしてここを出ました。
店を出ると名取川です。
四
田山白雲は、名取川の仮橋を渡りながら、今の岡っ引のことを思い返しました。
岡っ引の言うことには、仙台城下が今日は物騒がしいから用心しておいでなさいと。
それよりさき、純粋の奥州語をもって、飯屋の亭主夫婦と会話を試みていたところを拾い聞きにしての判断から言うと、その仙台城下の物騒というのは、やっぱり盗賊沙汰であるらしい。それも、市中商家を荒した盗賊ではなく、どうやら城内の然《しか》るべき部分をおかしたる某重罪犯人の捜索ででもあるらしい、ということを白雲が思い返しました。が、そんなことは深く心配せんでもいい。
いつしか名取川の沿岸の風物に頭《こうべ》をめぐらして、眼を放ちながら、幾瀬の板橋を渡りきろうとした時分、ついそこの柳の木の下で、蛇籠《じゃかご》を編
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