したから驚かされました」
白雲だから、これは全くお世辞ではありませんでした。
そんな調子で、話がそれからそれとはずんで行くうちに、白雲が、ついに望蜀《ぼうしょく》の念を起してしまって、
「ああ、それそれ、もう一つ仙台家に――特に天下に全くかけ替えのない王羲之《おうぎし》があるそうですが、御存じですか、王羲之の孝経――」
「有ります、有ります」
玉蕉女史が言下に答えたので、白雲がまた乗気になり、
「それは拝見できないものでしょうかなあ」
「それはできません」
女史はキッパリ答えて、
「あればっかりは、わたくしどもも、話に承っておりまするだけで、どう伝手《つて》を求めても拝見は叶いません、いや、わたくしどもばかりではございません、諸侯方の御所望でも、おそらくは江戸の将軍家からの御達しでも、門外へ出すことは覚束なかろうと存じます」
「ははあ、果して王羲之の真筆ならば、さもありそうなことですが、王羲之の真筆はおろか、拓本でさえ、初版のものは支那にも無いと聞いています――そういう貴重の品が、どうして伊達家の手に落ちたか、その来歴だけでも知りたい」
という白雲の希望に対しては、玉蕉女史が、次の如く明瞭に語って聞かせてくれました。
六
豊太閤朝鮮征伐の時、仙台の伊達政宗も後《おく》れ馳《ば》せながら出征した。
朝鮮国王の城が開かれた時、城内の金銀財宝には目をつける人はあったけれども、書画|骨董《こっとう》に目のとどく士卒というのは極めて稀れであった。
そのうちに、肥後の熊本の細川の藩士で甲というのがしきりに、王城内で一つの書き物を見ている――兵馬倥偬《へいばこうそう》の間《かん》に、ともかく墨のついたものに一心に見惚れているくらいだから、この甲士の眼には、多少|翰墨《かんぼく》の修養があったものに相違ない。
「これこそ、わが主人三斎公にお目にかけなければならぬ」
それを、傍《かた》えから、さいぜんよりじっ[#「じっ」に傍点]とのぞいていたのが、伊達家の乙士であった。
この乙士がまた、偶然にも同好の趣味を解し得ていたと見え――細川の甲士が一心をとられているそれを、のぞいて見ると、ああ見事――熟視すると、それがすなわち王羲之筆の孝経である。
乙士の眼は燃えた。わが主人政宗公へ、この上もない土産――分捕って持ちかえらないまでも、一眼お目にかけた
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