で持っている――その極《きわめ》はいよいよ本格的となって、今日までも動かせないでいるのだが、果して、それが無条件でそのまま受取れるか。
母は、もとより父のように品行上の欠点はなかった。品行上の欠陥がないということは、世間的には、すべての性格的の欠陥を帳消しするのと同じ理由で、品行上に些細《ささい》な欠陥でもあれば、他の性格的にどんな美点善処があろうとも、たいてい葬られてしまう。品行上では箸にも棒にもかからなかったわが父が、性格的には全く欠陥ばかりであったろうか。何かしら、認められないところに良処はなかったか。父は世間からは悪評判で葬られていたが、友人間ではむしろ敬愛される性格と趣味とを持っていたようだ。母はそれに引きかえて、第一、性格に潤いというものがなかったようだ――それから……
母が、世間に言われているような賢婦人だったら、父をあんなにはしていなかったのではないか。よし、父を救うことが絶望だとしても、自分をこんなにしてしまうまでのことはなかったのではないか。
自分は、今となって、母の再吟味に続いて、多くの遺憾《いかん》な点を見出す。それと共に、父の性格に、何か埋もれているところはないか、何かなつかしいものが隠れていたように思われてならない。
女が第一線に立つことは、よかれ悪《あ》しかれ不自然である。不自然が最善であり得るはずがない。古人が「女子ト小人ハ養ヒ難シ」と言ったのは、牝鶏《ひんけい》の晨《あした》することを固く戒めたのも、今となって、神尾主膳にはひしと思い当る、現にあのお絹だ――
見給え、あれがこのごろ調子づいていることを。七兵衛から金銀を捲上げて、この生活にゆとりを見せたのも、自分の手柄だとしている。
異人館へ出入りして、外人をひっかけて、何か物にしようというたくらみ[#「たくらみ」に傍点]をいっぱしの見得《みえ》のつもりでいる。
主膳は、そこまで考えると、あのお絹という女と、自分の母とがその当時、どういうおもわくの下に生きていたかを知りたい気持になりました。父の正妻であったわが実の母と、父のお手かけであった今のあのお絹とが、根本から異なった性格の下に、表面|角突合《つのつきあ》いをしたという噂も聞かないが、内心いかように、嫉刃《ねたば》を磨《と》いでいたかを考えると、いまに帰ったら、ひとつあの女をとっつかまえて、あの女が、わが実の母を、
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