は、あの巨大な暴漢のために、徹底的に、致命的に叩き伏せられて、再び立つことができないようにまでさせられてしまうにきまっている。それが川という別管区域へ落ち込んでしまったために、相手はちょっと追窮の機会を失ったのだから、この二人の親子が水練を心得ている限り――船頭のことだから、むろんそのたしなみはあるに相違ない――また、何か水中に人を刺すような木石の類が存在していない限り、致命的の怪我からはまず遁《のが》れられるものと見なければならない。
果して、追究された船頭親子が水中に落ち込んだのを機会に、むしろそれは落ち込んだというよりは、こちらが叩き込んだと見るのが至当な攻勢であったけれども、そこまで来ると、もうこれ以上働くことよりも、逃げることの急なのが自分の立場であるということにでも気のついた如く、倉皇《そうこう》と取って返し、最初倒れた際に、そこにおっぽり出した包みもの、それは、その中のものは白雲の遠眼鏡を以てすれば、当然なにか船頭小屋の中に有合わせた、当座の食料品であらねばならぬところのものを取り上げるや、それを拾って、不器用な駈けっぷりで、こけつまろびつ川下の方へにげて行くのであります。
「やれやれ、これでどうやら一巻の終りになったが、かわいそうに、たたき込まれてお陀仏《だぶつ》になったらしい船頭親子――」
と言って、待ちくたびらかされたこちらの旅人たちも、改めて同情の眼を以て見る瞬間に、早くも船頭親子は、落ち込んだところから十間ばかり上流へポカリと浮き出して、二人とも河原に立って、着物を絞りながら馬鹿な面《つら》をして、逃げて行く大男の後姿を見送っている。
やれやれ、これでまあ、こっちも助かった、船頭親子も怪我がない限り、おっつけ舟も廻って来るだろう、と旅人どもは、市《いち》が栄えたような心持で、げんなりしたが、白雲ひとりだけの興味は、決してそれで尽きたのではありません。更に一層の興味をこめて遠眼鏡の筒を、逃げて行くウスノロ氏の後ろへ向けました。
こけつまろびつ走りつづけたウスノロが、ほどなく蘆荻《ろてき》の生いしげったようなところへ来ると、その蔭からパッと飛び出して、いきなり抱きつくようにウスノロ氏を迎えたものがあります。
「あれだ!」
白雲は、その者が兵部の娘もゆる嬢であることを直ちに認めました。
「ははあ、あいつら、こんなところに巣をくっていたのか、
前へ
次へ
全114ページ中94ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング