般若の面とが、くっついて離れないことをよく知っている。あいつは、母の腹の中から般若の面を持って生れて来たのではないかとさえ思っている。
その般若の面の、描くべからざる場面に描かれているのは、どうして、清澄村の茂太郎が尋常一様の清澄村茂太郎としては通過しないことを証明しているではないか。
それに――もう一つ合点《がてん》のゆかないのは、清澄村と名乗るからには村である。村である以上は、城下であるべきはずはないのに、その肩書を見給え、「仙台大手御門前」と明らかに註してある。
どちらから見ても、ちぐはぐだらけ、矛盾だらけだ――こいつを納めた奴の常識のほどが疑われる。いやいや、その常識のほどを疑うこっちの判断が、こんがらかる。
ちょっとこのままでは立去れないよ。そこで白雲は、手をさしのべて、そのまだ新しい、謎《なぞ》の絵馬をひっくり返して見ると、裏面に、
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「百姓、七兵衛納」
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とある。
「はてな――これはまた、はてな以上のはてなだわい」
白雲はついに、道祖神の御神体石の首から、その絵馬をもぎ取って、自分の鼻づらへ持って来てしまいました。
三
そこを立ち出でてから路傍の人をたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない。要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ。
「おらあ、おくにやあ、くちいたてばっても、あんな折助言葉、うざにはくわなあ」
さても鴃舌《げきぜつ》の音、一時ムカとしてもみましたけれど、いやいや、ところかわれば品もかわるのだ、かえって、先方は、こっちの江戸弁――をさげすんで、嘲っているようでもある。今も子供が言った一語、「折助言葉――」だけが、耳ざわりに残っている。身不肖にして小藩に人となり、田舎まわりの乞食絵かきのようなザマはしているが、未《いま》だ曾《かつ》て折助風俗に落ちた覚えはないのに、陸奥《みちのく》の涯《はて》へ来て、しかも子供の口から、こういったあざけりをあてつけられようとは、あさましい。
白雲が舌を捲いて、名取川の岸まで来ると、そこで、一ぜん飯屋に身を投じました。前の川で取った川魚を炙《あぶ》って、そのまま食膳に供えて客を待つ。
白雲は、ここで亭主と女房とを相手に、わざと悠々と構えて、四方山《よもやま》の話をもちかけたのは、一つは、こ
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