それで、曾てあの小坊主に対して、一微塵ほどもわたしは敵意を抱いたということがないのは、今になって考えると、深重以上の不思議ではないか。といって、未《いま》だ曾《かつ》てあのお喋りに、わたしというものが言い負かされたと感じたこともない。もとよりそう感じなければこそ、彼の上に暴威を振舞うの理窟がなかったのだけれど――そうかといって、また向うが自分の我儘《わがまま》に屈服したとはどうしても感ずることができない、のみならず、彼のお喋りは多々益々《たたますます》弁じて、こちらが反感を起さないと同様に、彼の論難にも曾て、反感と激昂の調を覚えたことはない。
それが、実は、今のお銀様のゆゆしき不思議な存在でたまらなくなりました。
嫉妬、排擠《はいせい》、呪詛《じゅそ》、抗争は、いずれ相手があっての仕事である。
強かろうとも、弱かろうとも、相手は相手である。勝とうとも、負けようとも、相撲《すもう》にもしようとし、相撲にもなると思えばこそである。比較を絶する大きな存在に向っては、嫉妬の施しようがないではないか。排擠の手のつけようがないではないか。呪詛の、呪文の書きようがないではないか。抗争の足場の試
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