先日、あの貸本屋が最初に見えた時、この際、貸本でもあるまいと思い返してもみたことだが、自分はとにかく、竜之助を慰むるためには、何でも軽い読物が第一でなければならぬということを考え、このなかから五六冊借りてみたことが縁でありました。
 その奇縁が、今日は先方からこういう仕事を持ち込んで来る、この際、自分の腕で、たとえ少しなりとも働き出してみせるという機会を与えられたことが、やっぱりお雪ちゃんにとって、言い知れぬ力とならずにはおられません。

         二十七

 その翌日になると、果して鶴寿堂が、原本はもとより、紙も、墨も、筆も、硯《すずり》まで整えてお雪ちゃんのところへ持って来ました。
 その原本というのは「妙々車」と題した草双紙でしたけれども、お雪ちゃんには草双紙が光を放つかとばかり尊く見えました。
 番頭が帰る早々、机を据えてその写しものにかかりました。
 お雪ちゃんは、本来こういうことが好きなのです。好きなところへ生活の圧迫がさせるのですから、その熱心さ加減というものはありませんでした。全く集中した興味で、一気に一枚二枚を写し取って、その出来栄えを見直すと、自分ながらそう
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