助は全く金屏風の竹と椿の中に没入してしまっていて見られません。
包みを解いて取り出した貸本の二冊、三冊――
「花がたみ――この方は人情本でございます、これは琴声美人録――、馬琴の美少年録をもじったような作でございます、絵は豊国《とよくに》でございます」
「まあ、こちらの方はみんな筆で書いたものですね」
「ええ、先日も申し上げました通り、あらかた焼けましたものでございますから――残っている分や、借出した分を残らず筆記に廻させておりますが、借り手はたくさんにございますから、書き手が足りませんで困っております」
「でも、よくまあ、こう丹念に書けますね」
「なあに、素人《しろうと》でございますがね、原本を写して書きますと、誰にもやれることなんですが、さて、なかなかありませんでね」
火事で蔵本が焼けてしまって、補欠のために筆写をさせて、それを借方《かりかた》へ廻しているということはこの前に聞いたが、その筆耕が足りないことを本屋がこぼしている。お雪ちゃんはその書き本を手に取ってめくっていたが、なるほど、丹念には写したようだが、素人がやったと見えて、見れば見るほど不器用なところが多い。
でも、こういう際には、これでけっこう役に立ち、読む人に相当の慰めが与えられるのも重宝《ちょうほう》だと思いました。
「まだほかに妙々車《みょうみょうぐるま》という近刊物で、たいそう面白いのが一組だけ出ましたが、誰かそれを写してくれる人はないかとしきりに探しておりますが、見つかりませんで困っております、素人で少し絵心のある人ならたれでもいいと思いますがね、二通り、三通り写して置けば商売にもなり、この際、焼け出された人の人助けにもなるのでございますが、なかなか人がございません」
こう言って、貸本屋の番頭が繰返してこぼすのを、ふと聞き咎《とが》めたお雪ちゃんは、急に口がどもるような気がして、
「あの、本屋さん……」
「はい」
「それはなんなの、素人《しろうと》でも丹念にやりさえすればいい仕事なの?」
「ええ、もう、こんな際ですから、本職ようの註文などをしてはおられません、少し絵心のある人で、見た眼の感じがよくさえあれば充分でございます、原本がたしかですから、透きうつしが利《き》きますし、案外骨の折れない仕事でございます」
「では、本屋さん、ぶしつけですけれども、その仕事をわたしにやらせて下さらない?」
「え、あなた様が……」
「わたしでよろしかったらば……その写本にあるくらいのことはやれましょうと思います」
「それはほんとうに願ったり叶ったりでございます、あなた様ならば……」
貸本屋が乗り気になりました。
お雪ちゃんとしては、いい機会を捉えたもので、生活の真剣な苦しい思いが、お雪ちゃんをして、このいい機会を掴《つか》ませるようにおし進めたとも見られないではありません。
事実、お雪ちゃんの年ならば、ここにいま持参して来た本ぐらいのことは、充分に自信がある、そういう写しものの仕事があるならば、それこそ時にとっての生活を救う無上の内職であると、勇みをなさずにはおられません。
「でございますが、お礼といってはホンの少しばかりで、お気の毒でございますが」
と番頭は入念につけ加えたことが、かえってお雪ちゃんに安心を与えるようなもので、
「ええ、いくらでもかまいませんのよ、わたしにまあ、試しに一冊だけをやらせてみて頂戴」
「では、明日持ってあがります」
貸本屋を帰してしまった後で、お雪ちゃんはなんとなく心の勇むのを覚えました。そして、身に何かの力がついたように思われてきました。
先日、あの貸本屋が最初に見えた時、この際、貸本でもあるまいと思い返してもみたことだが、自分はとにかく、竜之助を慰むるためには、何でも軽い読物が第一でなければならぬということを考え、このなかから五六冊借りてみたことが縁でありました。
その奇縁が、今日は先方からこういう仕事を持ち込んで来る、この際、自分の腕で、たとえ少しなりとも働き出してみせるという機会を与えられたことが、やっぱりお雪ちゃんにとって、言い知れぬ力とならずにはおられません。
二十七
その翌日になると、果して鶴寿堂が、原本はもとより、紙も、墨も、筆も、硯《すずり》まで整えてお雪ちゃんのところへ持って来ました。
その原本というのは「妙々車」と題した草双紙でしたけれども、お雪ちゃんには草双紙が光を放つかとばかり尊く見えました。
番頭が帰る早々、机を据えてその写しものにかかりました。
お雪ちゃんは、本来こういうことが好きなのです。好きなところへ生活の圧迫がさせるのですから、その熱心さ加減というものはありませんでした。全く集中した興味で、一気に一枚二枚を写し取って、その出来栄えを見直すと、自分ながらそう
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